カラダとココロの快不快感覚でしなやかに選び取る

2020年7月よりHSCちゃんを育てるHSP母のコラムを
15名のメンバーで日替わりでアップさせていただきます。

さまざまな立場からの、さまざまな年齢のHSCちゃんの子育て現場レポをどうぞ。

 


 

我が息子(すでに成人)も、どちらかというと繊細な体質、氣質で
HSCだった(今はHSPか)と言えるのかなあ
と勝手に思っています。

HSPという概念自体は新しいものなので、当然、子育て中、

そのことばに当てはめたことはなかったのですが、
そういえば、と思い当たる昔からのことがあり、また、
現在のその機微を伺い知る機会もあったりする最近です。

 

今回は、その昔からのこと、を思い出してみます。

 

photo: 長束加奈

 

 

 

親である自分くらいしか氣づかない程度のことだったかもしれませんが、

 

思えば、
急な大きい音を嫌がる、
というような音に対する敏感性、

また、皮膚感覚というか体感覚として、
身体を締め付けるタイプのもの、
身体に密着し過ぎるものを嫌い避ける傾向にあります。

 

HSC過敏ちゃんアルアルで、
いわゆるセーターのチクチクがイヤというのがありますけれど、

アレってなかったよなあ、

と、先日、本人に話を振ったところ、
「そもそも、小さい時、セーターなんか着てへんし。」

と返されました。

(なるほど。洗濯に手間がかかるようなのを子どもに着せる私ではなかったわ。。。)

 

なので、そのほか目立って思い出されるのは、
セーターでなくともタートルなど首の詰まった衣服、
ネクタイ、腕時計、帽子、ベルトなどなどが苦手で
極力したがらなかった(今も)ということ。

 

本人談によると、
中高生時代は、制服やその校則の問題で、
(詰襟を上まで留めなければいけない、ネクタイ、ベルトの着用ルールなど。)
本当は違反だけど、適当に目立たない範囲でしなかったりして
やり過ごしていたようです。

 

「ベルトは、ほんとはしないとあかんのやけど、
してなくても “アイツはそんなヤツ” となんとなく認められて
馴染むようにしていくねん。」
などと言っていました。
(なんだ!?その技。)

 

本人の、なんか上手いことやれる対人スキル

のようなものを使ってか(笑)、

校則や先生や友達と真正面からぶつかって軋轢を生じることなく、
適度にすり抜けて事なきを得ていたのかもしれません。
興味深いです。

 

 

また、ほかに覚えているのは、高校入学当時。
中学でやっていたのとはまた違う運動部に入ろうかと、
仮入部していたらしかった時。

 

朝練にも参加し始めたりしていたのですが、
しばらくして、「入るのやめた」と。

 

訊くとはなしに話を聴いていると、
同じ新入生で入ることになる仲間(複数のようでした。)が
くだらないからイヤになったというようなことを
言っていました。

 

コートのあちらとこちらで何人かずつで離れている時、
離れているから聞こえないのをいいことに、
つまらない悪口を口にしているようなのが、
見ていて耐えられないというような話でした。

 

そしてまた、部の練習として『帽子をかぶること』が
義務付けられている、ルールだマストだと言われたことも
自分には無理だと思ったようでした。

 

どっちがイヤなことのメインだったんだろう、、、
どっちもかな。。。

なるほど~。

自分の心情や感覚を基準に、
イヤなもの合わないものからは離れるルートを選び、
決断し、そう動くのは、

まあそれはそれでいーんじゃない?
と思って笑って聴いていた覚えがあります。

 

なんだか面白いな、興味深いなって思いながら。
(だからずっと覚えているのですね。)

 

積極的撤退というか、自分で自分にふさわしい場を選び取る姿勢
と言ったら、かっこよく言い過ぎですけれどね。

 

他の人たちの言動が自分にとってイヤでくだらないと感じ、
諫めるでもないけど、その同じグループ内に近しく居たくないわ
などというのは、洞察系の特長とも言えるのかなと感じますが、

なんというか、彼の感覚としては、不快の身体感覚に近かった
んじゃないかなという氣がします。

 

その奥に超ナイーブな部分があって
ある意味、本当に信頼できるのはひとにぎりの人で
それ以外の人、ものに関して常に細心の注意を払ってるようなところがある。。。

学童、学生時代、特につまづくことはなかったけれど
神経疲労に氣をつけていないとバランスを崩す可能性もあるということを
社会人になってから
垣間見る機会がありました。

いろいろ経験を重ねてるようです。

今の社会は、
誰でもバランスを崩しやすい状態ですけれどもねえ。。。

 

そんな、思い出の回想でした。。。

 

 

身体の感覚が過敏だということは、感受性が優れているということで、
それは生命力が高いということだと、
近頃ますます肯定的に思っています。

 

 

さて、翻って少し私自身の最近の話を。

 

わけあって、先日、久しぶりに少し長い時間
(と言ってもほんの1時間やそこらですが。)
サージカルマスクをして戸外で活動していたら、
その息苦しさにかなり耐えられなくなったのを実感しました。

 

せめてこちらにと途中で手持ちの布マスクに替えて、
それでもすでにかなりイヤになっちゃってるんで、
だいぶマシだけどやはり早く取りたいという感覚。

 

あー苦しかった。
これって、
感覚過敏に入るの!?

 

いやいや。
それ以前の、ごくごくフツーの普遍的感覚だと思いますよね。

 

多くの人がきっと近頃、
日々体験されている状況なのではないでしょうか。

 

そしてたとえば身体感覚が敏感なHSP(HSC)さんなどには
特にしんどい状態の場合も多いのではないかと推察します。

 

この巷の光景。

さも常識っぽくなっていることかのように見受けられますが、

多くの場合、そもそも一体それはなんのためにやっているのか、
どこに何の意味があるのか、根拠にも著しく乏しい、

と、個人的にですが、総合的に自ら考えて判断し、
自分の身体にも心にも心地よい行動を選び取る結果として、

 

私は今、外出中、移動中など、
ほとんどマスクはしませんのですわ。あしからず。エヘ。

 

前回のコラム:デンマークプログラムって自分にとってなんだったんだろう

 

writer: 京都の けんはな ☆ すぎえ じゅんこ ☆(24歳男性、21歳女性 の母)

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・京都で逢う日 ~おもろいやっちゃ~:https://ameblo.jp/kenhana-tanoshihoue

 


photographer: 長束加奈(10歳男子、8歳男子、6歳男子の母)

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