コラムColumn

HSCちゃんの才能と資質

HSCちゃん「0か100かの完璧主義!」をどうしましょうか

2019年5月15日

今日は
HSP/HSCちゃんには完璧主義が多い、
というところの話題をお話しますね!

そのことをFBでつぶやいたときに

ある才能あるHSCちゃんのお母様が
こうコメントしてくれました。

【娘、「ロシア人じゃないし、ロシア人の骨格じゃないから、バレエ辞めようかな。」と言っている時期がありました】

来週大阪でHSPセミナーを招致してくださるMieruka
アーティストの橋本美和さんhttps://www.facebook.com/miwa.hashimoto.7

【小学生の頃、「どれも一番じゃないから、何にもなれない」って人生を悲観しておりました。今なら笑って言えますが(^^)】
って!(笑)

【息子は、今は漢字の宿題で1ミリの歪みやズレも許さないのかして相当な時間かけてもがいております】

【ずっとバレエや声楽をちゃんと習いたいんですが、「今さら舞台に立つわけじゃないしな〜」とフツーに考えちゃいます。シロウト発表会やってどうすんの、とか?
仕事でも、「こんなサービスどうかな」と思っても、なかなか動かないのはまさに完璧を目指しちゃうから。わかっちゃいるのにやめられない】

次々に繰り出されるあるある話に、
私含めコメントされた全員がうなづいたと思います。(笑)

うちでも先日、次女が言いました。

「お母さん、何かをやりだすと、気持ちが100か0かみたいになっちゃうの。

できるなら世界一完璧になりたい。そうなれないんだったらやりたくない、みたいな。

おかしいのかな」

いえいえ、これはHSPあるあるです。(笑)

HSPには完璧主義な人がとても多いことはアーロン博士も言及しています。

 

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典型的なHSPは、心配性の完璧主義者であることが多い。

典型的なHSPは、心配性の完璧主義者であることが多い。

典型的なHSPは、心配性の完璧主義者であることが多い。

わたしもですっ!(笑)

 

自分の感覚的なこだわりの強さと

その感度の鋭さからくる世界の大きさ
(感じている世界の広さ)が原因ではないかと思います。

そのうえに、日本人はすぐに

「リーダーになるためには」
「チャレンジ精神が大事」
「がんばろう」

に価値観がありすぎて

子どものころ上記の標語が手を変え品をかえ、
教室の前に張り出されていましたよね!

それは大人になっても専門の分野を持ったら世界一の知識がないといけないような気がしていつまでも勉強する
資格をひとつとったはいいが周辺の業務をこなすのに、あの資格もこの資格も、と資格マニア化する
この道の大家でないと仕事しちゃいけないような気がする。

(HSPという神経系が原因というのと育った環境から由来している、と厳密には両方あります)

もちろん1番を目指して勉強する、技術を磨くというのはすばらしいことです。
でもそれと、1番じゃなくちゃ、存在しちゃいけないというのはイコールではありません。

「0か100しかなくなっちゃう」と言う娘に言いました。

「あのね、最終的にはそれは

誰と生きていきたいか

って話なんだよ。

学生のときは思いつくままどんどん○○たのしい〜ってやっていればいい。

それはすばらしいこと。

そして学生が終わっても、例えば知ることそのものに興味がありすぎる、っていうんだったら

勉強し続けることができる研究者になるという道もある。

でも仕事をして、人に何かを提供していく人になるというのは

最終的には誰と生きていくかという問題でもあるんだ」

 

そしてそれは、選んでいい。

 

 

・・・・・・・・・・・・・

例えば、教習所へ行って車の免許をとりたいとする。

教官が横に座って、
いろいろと運転の仕方を教えてくれますね。

そこで、助手席にF1のドライバーが乗ることはない。
F1のドライバーは運転技術に関しては世界1だろうけど
一般的な公道を安全に運転することに関して教える人じゃない。

同じく世界一の運転技術を追求している他のF1ドライバーや
世界一のスピードを出させるための
車のメーカーやメカニックの人たちと生きている。

教習所の先生のほうが、よっぽど役に立つ身の丈にあった運転の仕方を教えてくれる。

 

がん細胞のことで研究に研究を重ねてノーベル賞をとった人がいる。

その人は日々研究に時間をついやしていて世界最高峰の論文を書く。

がんで死ぬ人が少なくなることに貢献しているけれども、
臨床の現場で直接一般のがん患者さんを救うことは、しない。

 

 

パソコンを開発した人がいる。

自分で機械をいじっていじって試行錯誤して
初期型1号を作った。

それでお金をもうけて、二号機の開発に投資するために
チームを作った。

そうするとその人はパソコンの開発を一人でやっている技術者とはもう違う。

経営者という立場になって、
人を束ねていく、その会社のいく方向を決めていく、
という違う仕事の種類になる。

そうすると付き合っていくひとはどんどん変わっていく。

 

たとえば学生のときに森の研究をした人がいたとする。

その人は、アウトドアのさまざまなキャンプやリトリートにも参加し、外国の自然やそれに対する現地の人の態度も見に行き、帰国して国家の自然保護に関わることになった。

現在は国家の自然保護のルールを一般の方に適用する現場にいるがこれまでのリソースを活用して一般の人にもキャンプサービスで心の健康を保つ技を提供できるし企業や都市計画の人に、ソフト面で森と人間のかかわりをデザインする提案もできる。

 

 

同じネタであっても

どのくらいの掘り下げ方で

どの角度で、なにをやっていくかによって

仕事によってかかわる人、

職種、階層などが

全くかわるのがおわかりいただけるでしょうか?

 

何かを勉強したり、探求しはじめると
その世界で一番最高峰の技術や知識を
手に入れなければいけないような気持ちになる。

これは前述のとおり、
日本人の集合意識でもあります。

 

一番の人がえらい。と。

または一番の人にお墨付きをもらわなくちゃ。と。

 

でも知識や技術の一番の高みにいる人だけが生きていくわけじゃない。

 

その仕事が意図する

階層、や人種、

の人とつながる

というだけです。

 

アメリカ人の子どもは、自分の家の前でレモネードを売ったりすることを小さいときからやるそうですね。

そこには立派にお客さんがつくんです。

 

今、自分ができるところから

仕事を広げていく。

 

自分が持っているものに着目する習慣。
(成功している事業家・経営者は100%この考え方だと断言します)

それは、これからの時代に子どもを育てるうえで、
大切に伝えていきたいところでも、ありますね。

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