2017年12月5日
とっても繊細ちゃんでとっても天才ちゃんのお子様をおもちの
お母様のお話を伺うことがよくあります。
そういうお子様は、内面が大人びていて
自分の感性の軸がはっきりしている。
こんなことを言うのですって。
「人にはふた通りのタイプいる思ったり行動することが同じ人と逆の人がいる」
「大人の事情」「大人の不整合」を簡単に見抜いてるんですよね。
学校で自分が納得する居場所が見つけられなかったそのお子様は、
泣きながら
「自分を動かすリモコンを頭に持たせるのは嫌なんだ、心に持たせていたいんだ」
と訴えたそうです。
わたしは驚きました。
思考判断によってじゃなく、心が指し示す方向で生きたい。
何十年も修行したお坊さんのようなセリフだと思いませんか?
若干10歳のとき、小学生です、天才としか言いようがありません。
今、お子様が
・なぜか学校へ行けない、
・行って暴れるときがある、
・大人の嘘がわかりすぎてつらくなるみたい、
・まわりのお友達が幼く見えてしまうみたい、
そういうことがあると感じたら
(本人はそういう言葉では言わないけど)
それは親として、とっても辛いことですよね。
子どもの将来はどうなるんだろう。
進学はどうなるんだろう。
居場所がないのは苦しいのじゃないか。
ぜんぶ、そうですよね、
その通りだと思います。
でもそういうときほど、親が先に子どもを信じよう。
…っていうか、
大丈夫なんです。
ただやみくもに不安な気持ちに蓋をして思う大丈夫、じゃなくて
冷静にお子様の強みと資質を観察しましょう。
人は自分にとって大切な人が心の底から自分を信じていてくれたら
大抵のことは越えていけます。
そして大体の場合、
小学生・中学生のお子様にとって一番大切なのはお母さん、ですよね。
だから原理原則として
・社会ではなくて、お子様の側に立とう。
先生と一緒になって困った顔をしては、いけない。
・つつがなく暮らせる暮らし を求める社会・学校ではなくて
お子様の天才性を理解する人をまわりに「配置する」という考えで、行きましょう。
いかにお子様の天才さを理解する人をたくさん見つけられるか、
いかにまわりの人にお母さんがお子様の天才性を
「プロモーションできるか、理解させられるか」
そこが鍵だと思います。
お子様を既存の社会のフレームに合わせさせようとする人は、賢く避けて排除していこう。
それは日本という社会システムのなかでは並大抵のことじゃないけど、
親がいつもお子様の側にたち「あなたの感じていることが正しい」
という姿勢を貫くことで、
お子様は世界のなかで安心の地を見つけてぐいぐい伸びるはずなんです。
社会を世界の中心にしない。
お子様を世界の中心にして、共に進みましょう!