2017年11月8日
「中学や高校で自殺しちゃう子は、自分で世界が選べないから死んじゃうんだね。
Kはお母さんの子でよかったよ」
不登校がちの次女が昨日、車のなかでしれっと言いました。
彼女は今、外国へ行ってみるという選択をしたいのです。
でも出席日数などの条件が合うかがわかりません。
今日は学校面談で「うちの子を応援してください」とお願いに行くのですが、
もともとうちの子は無気力で学校に行かないのではなくて、
「なんか違う」(それを説明できない)の。
学校へ行けない子のほとんどは、この
「なんか違和感がありすぎる」
なのではないかとわたしは思う。
子どもはもともとエネルギーに溢れた存在でさ、
はじめっから無気力な子なんていないのですもん。
その証拠に彼女は家で韓国語を勉強したり、本を読み漁ったり、
自分の使いたいように時間をつかって、明らかに人生を進んでいます。
でも「なんか違う」と口に出すと、「わがままだ」と言われる。
自分の生きる場所を選びたいというのは、
本当にわがままなのかな。
わたしはとってもすばらしいことだと思ってます
子どもたち世代は、
概してわたしたち世代より魂レベルがずっと上なのではないかと常々思うの。
だから
「大人の都合でできた世界」に違和感を感じたら、
その子はその場に身を置くことができないのではないかと思う。
そういう子がいっぱいいるんだよね。
これからさき、私がせっかくもらったチャンスなので
「世界を選びたくなっている子ども」がどうしていけるか、
トライと検証を重ねます。
現実的に「自立するところまで選べない」のか。
そうではなくて(抜け道的に今はなるけど)
自分の意志を尊重しながら、
日本という社会とも喧嘩別れせずにやっていける方法があるのか。