コラムColumn

HSCの母のつぶやき

今まで娘を愛おしいと心の底から感じたことがなかった、いや愛おしいはずだと言い聞かせていました

2018年6月29日

先日配信しました「理解できる親子、理解できない親子」
を読んだ方がメルマガにご返信くださいました。

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娘に重ねて読んでいったので、
途中苦しくなりました。

皆川さんの演じていた、、という言葉と、

娘が小学生のときに言った

“操り人形みたいだった” という言葉が重なり、

本当に辛くなりました。

2年前に感じた辛さは

娘が学校に行けない辛さ

子育てが上手く出来ない辛さ

一生懸命子育てしたのに、
娘に分かってもらえない辛さ

大事にしていた習い事を止めてしまった辛さ

つまり、

思い通りに行かない事に対する辛さばかりでした。

でも、今回の辛さは違う辛さでした。

(娘は)そんな風に思っていたんだ。

そんな風に感じていたんだ。

そんな風に我慢していたんだ。

そんな風に演じていたんだ。

と、娘の事を理解出来ていなかった事で、

彼女は私以上に 辛く苦しかったんだと思うと、
涙が止まりませんでした。

夜な夜な二人で何度も話し合ったこともありましたが、分かり合えませんでした。

私は彼女を理解できませんでした。

生まれてすぐから5年生の冬まで、
本当に聞き分けのいい子供でした。

自慢の娘でした。 (皆川さんと一緒です!)

でも彼女も疲れてしまったので、
爆発してしまったんですね。

私は今まで娘を愛しいとか、そこに存在しているだけでいい、 と、心の奥底から感じたことがありませんでした。 

そう思うようにしようとか、そうなはずだ、
と 自分に言い聞かせてきました。

でも皆川さんの文章が、
娘の気持ちを代弁しているかのように感じ、
やっと今 娘が理解出来るようになり、
愛しく思えるようになりました。

何だか上手く説明出来ませんが、
今まで感じたことの無い感覚が 芽生えています。

親子の絆ってこれなのかな? みたいな感覚です。
長くなって、申し訳ありません。

でも気持ちさらけ出して整理しないと、
この先上手く行かないかもしれないと思ったので。

まだ少し辛さは残っています。

癒されるにはもう少し時間がかかるかもしれません。

でも、娘のことがだいぶ理解出来るようになったので、 明るく前に進めそうです。

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これを読んで
わたしにも大きな気づきが起こりました。

そうだったのか。

実の母親からは、
わたしは欲しいものを一生もらえないかもしれない。

理解してほしい、
というのは絶対に無理なのかもしれない。

でもこのメルマガを読んでくださったり、才能発掘講座に来てくださるお母さんとお子様の有様を見て、わたしは逆立ちしても得られなかった、癒しをもらっているんだわ、と。

上記のお母様は、うちの母とは違いますね。

おこさまを理解しよう、つながろうという強い意志をお持ちで、今となっては、もうそれはできたも同然だと思います。

お子様は繊細なHSCちゃんで、
人の心はすごい精度で読めています。
(断言できるのは、彼女が作る作品にそれが色濃くでているから(^ ^))

だからお母様からしみでる、この波長は
ぜーーーーーったいに彼女に伝わるんです。

もちろん少しの日数がかかるでしょう。

お母様も今はショックを受けていらっしゃる状態だと思いますので、傷がいえていくように、時間が少し必要だと思います。

そういうときは、無理をせずに、次の心の動きがでてくるまでじっとなさっていいと思います。

心がむくっと起き上がるのをお祈りしています。

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もうひとつ。

上記のお母様が重要なことを書かれていますので、
それをお伝えしますね。

それは

「人は、生まれ持って、人やコトを思い通りに動かしたい生き物である」

ということ。

もちろんわたしも。

ここは、4,000年前にお釈迦様が言及された、
まさにそこです。

「人生とは、苦である。」

苦とは、思い通りにしたいという心である

と。

おっどろきじゃないですか?!
4,000年前と人間はかわらない〜(笑)

仏教講座にするつもりはないので、
話はここまでにしますが、

人はあらかじめ、

思い通りにしたい
という心がセットされているんですよね。

自分の理想に近い子どもにしたい。
(してあげたい)

自分ができなかったことをやらせたい
(やらせてあげたい)。

自分がいいと思う、人生を歩かせたい
(安心な人生を用意してあげたい)

 

でもそのほとんどは

子どもにとっては

的外れだってことなんです。あは。

 

ええ、わたしもこの間違いをいくつやらかしてきたことでしょう。

その間違いは子どもがすること、

向かっている世界を見ずに

私自身が「こうしたいという理想像」を先に出したから起こったことです。

 

自分が、スタートだった視点を

「この子が見ている世界はどんなもの?」

「この子がやりたいことは本当はなに?」

子どもから滲み出てくることを見てから、

まわりの環境を整えるコトをしたら、

娘たちはぐいぐい伸び始めました。

そう、
わたしの脳みそのなかの理想スタートじゃない、

ありのままの子どもスタート。

ここができるようになると、

ほんとうに天才が育ちます。

だって
ほんとうに子どもたちは一人残らず天才なんです。

凡人にしているのは、
ほとんどの場合、親なんです。

「すごい人がいっぱいいるのに、一番になれるはずがないよな・・・」

「そんな突飛なことで食べていけるわけない」

なんのデータなのか

そういう言葉や思いを子どもになげてしまったりする。

(思っているだけでそれはHSCの子には確実に伝わります。そういう前提感でお母さんが言葉選びしているので)

そこで子どもは
自分のオリジナルの才能を一旦閉じます。
(次に開くまで、ね)

でもうちの子は世界一すごい、

それを実際に腹落ちするまで磨けばそれで、
天才が育つ準備は揃うんですよね。

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