2019年4月10日
今日は心のことを書きたいと思います。
HSC/HSPの方のおはなしを伺っていると
感覚の敏感性や
共感性(ひとのきもちをわかりすぎる)
洞察性(物事の本質やこの世の真理についてのセンサー)
が他の人よりも人並外れて鋭いことで
「自分の感覚でなく、他の人の感覚をこの世のスタンダートとして自分の感覚に蓋をする」
ことが問題の根っこではないかな
といつも感じます。
学校で
あ、推薦されて笑ってるけど本当はやりたくないって思ってるのに・・・
とか
先生が自分のミスを隠すために今子どもを注意したりしているな・・・
とか
【でも気づいているけど、これをそのまま口にだしたらきっとめんどくさいことになる。】
これを早い子では小学校の1年性、いや保育園や幼稚園で言葉にはならないけれど、キャッチしています。
不安が強い子どもたちをおうちで暖かくまもっていらっしゃると思います。
でも
家でどんなに
「そんなの気にしなくたっていいんだよ」
とか
「大丈夫だから」
と言っても
「ああ、またお母さんが大丈夫っていってる」
くらいにしか子どもは受け取りませんよね?
「はい、はい」的な(汗)
またはひどくなると、
不安でお母さんから離れられない
という子もいます。
そういう子は、普段から
防御の姿勢をとっていることがあります。
前かがみで腕を自分の身体に巻き付けていたり・・です。
そういうとき、どうしたらいいんでしょう。
まずひとつめ。
最初の第一歩は
「あなたの感じていることを口から出していいんだ」
「少なくともうちでは」
と思わせてあげること。
それには、とにかくジャッジしないで聞く。
「・・・・・ってことが学校であったんだ」
って子どもが話してしょんぼりしたりしたとき。
「こう言えばよかったじゃない?」
とか
「そんなこと言ったらお友達が悲しいかもね?」
とか
「自分の思っていることを言えばいいかもよ」
とか
自分のジャッジ=判断を返事に入れていませんか?
いや、もちろんいいと思うんです。
お母さんの意見をいうのも大事。
でもこれを毎回日常的にしていると
子どもは親に
「正しい判断をもらう」ベクトルが強くなります。
「そうなんだ、そういうことがあったのね。」
ただ、受け止める。
これをふんわりとやっていくと、
その次を自分で考えるようになっていきますよ。
デンマークの家庭もこれをとっても大事にしているそうです。
「ジャッジをしないで、ただ聞く」
よく聞くことかもしれませんが、
これは子どもが変化の入り口にたつときに基本要素かもしれません。
「こうしたほうがいいよ」
というのは親の愛としても伝わりますが
「親の不安」と伝わることもある。
もちろん親だって人間。
それもいいと思いますが、
子どもがピンチのときは
ともにふんばりましょう!
次回は
「HSCの我が子、不安や強迫観念が強くて毎日大変です・・・」〜②親の存在感が伝えるもの
をお送りします。