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インタビュー/世界は広いな大きいな

HSC/21歳!板垣はなみさんインタビュー①〜わたしが世界に羽ばたくまで・幼少期のこと【

2019年2月14日

これから全4話にて、
板垣はなみさんのインタビューを連載します。

HSCの女の子
(それもかなりの強度。チェックリストは5つをのぞいて全部にチェックがはいりました。)
が数々のアウェイ感と学校での挫折を経て、現在はアメリカのアートの大学に留学中。

HSCのお子様が
どうやって才能を世界に向けて開いていくか、
参考にさせていただける視点と行動がたくさんあるはず!
と思って、お母様につないでいただきました。

板垣昭子さん、この場を借りて御礼申し上げます!

さあ、すごいインタビューですよ〜早速どうぞ。

➡大人用HSPチェックリストはこちら

<はなみさんのこれまでの生い立ち>

 

はなみさんの簡単なプロフィール

神戸生まれ。
神戸でガレージで遊ぶ子どもたちを見て、
135度線の国生みの島、淡路島に住みたい
とお母様が言いだしたことで
小3で淡路島に引っ越し。

高校卒業後1年間大阪のNIC(アメリカの大学の単位をある程度日本で取って編入できる教育機関。東京と大阪にあるようです)に在学。
その後アメリカ・サンフランシスコの
アート系の大学へ。
2019年2月現在   2年生在学中

 

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皆川:はなみさん、
今日はよろしくお願いいたします!
HSCチェックで5個以外をのぞき、
ほとんどにチェックが入ったはなみさんです(笑)
今こんなに自由に世界に羽ばたいて
自分の可能性を追求していらっしゃるところに感銘を受けました。

今日はその秘密を
感性キッズにシェアしていただきたくて(笑)
お話しを伺えたらと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

まずは生い立ち、
どんな幼少期を送られたのか、
ということを聞かせてもらえますか?

はなみさん:神戸にいた小学校の低学年までは
本当に(自分の感覚を)押さえたまま、
「違うことしちゃだめだ!」
って思いながら学校に行ってました。
あのままいたらストレスで
すごく危ないことになっていたと、
今思います。

神戸は
結構ガラの悪いところにいったんで
男子と女子は戦うとか、言葉使いとか。

島に来た時に男女が仲良くて
放課後川で遊んで、
暗くなったら送ってもらって帰る
みたいなのがすごいホンワカしていて
「こんな世界あるんや〜」と思ったんですよ。

で、その頃からみんなが
「はなみはこういう子」
って受け入れてくれたんですよね。

なのでわからないことを「わからん」
って言えるようになったんです。

「システムがわからない。なんでみんなわかるのかがわからん」って。

そこからはそのキャラが定着して
中学校も大丈夫だったけど、
自分だけまわりと感覚が違う
ということに気がついていました。
だからなんでみんなが言われなくても
同じ行動をできるのか、不思議だった。

ここに何時にどういう列に並んで
板垣さんはここねとかって言われる
システム化された学校のルールを守るのが
すごく不得意でした。
友達にマネージャーみたいなことしてもらわないとわからなかった。

わたしは共感覚(五感がまざってしまう現象)
があります。

色と音楽がまず一つ。
(音に色が付いていると感じる感覚)

二個目がそんなに強くはないんですけど、
文字や数字に色とか形がついて覚えてます。

それなしで
どうやってモノをとらえるんだろう
と思ったぐらいだった。
で、共感覚という言葉を知って(逆に)
自分は何でそんな不得意なものがあるのか
わかったんです。

割り算をピザとか餅っぽい画像で計算する感じで、(概念に基づく)計算ができなかった(笑)

(皆川注:これは認知特性というもので、脳がどのように外からの刺激を取り入れ、記憶に保存しているか、のタイプです。生まれたときから傾向は決まっています。映像で頭に取り入れる子、言語や聴覚で取り入れる子、などあって、算数を途中で挫折する子は、絵を概念化する〜位の概念など〜でつまずく、映像特性を持つ子が多いことがわかっています。)

 

はなみさん:いつも言うことなんだけど、
私には親からもらった素晴らしい環境があります。

(お父様はおのころ心平さん、お母様は板垣昭子さん

小さい時から
言った事はすぐ現実になるよ、叶うよ、
引き寄せる法則があるんだよ、
すべては起こるべくして起こっているよ、
と教わっていました。

だから後悔とかいう概念が
家のなかに全くなくて、
(何か起こっても)
じゃあそれで何を学んだ?次どうする?
って感じの家でした。

(お父さんとお母さんの考えは)
講座で学ぶとかじゃなくて、
家のなかの基本の考えとして
身についてくるのですよね。

皆川:パパ(おのころ心平さん)とはどんなことを話すのですか?主に。
仕事のこととか?
道についてとかビジョンについて
とか話すことはありますか?

はなみさん:ん~私パパ大好きなんですけど。
仕事の時はペラペラしゃべってるかもですが
パパに戻ると寡黙なお父さんなんですよ。
なので私たち3人姉妹あつまると、
きゃ~ってなって、
お帰り!ブチュ!みたいな感じなんですけど(笑)

パパは「もうお前ら彼氏とかおるやろ」とかって。

そういう感じのテンションの時もあるんですけど、
ディナーとか一緒に食べに行った時には
こういう本読んでこういうふうに思ったんだけど
どう思う?って真剣に聞くこともある。

お父さんもすっごいいろんな事を考えてるのがわかってるので。

私に伝えることも全然100%じゃなくて、
私が把握できるだろうな
っていう範囲で物事を伝えてくれてる
と思うんですけど。

「俺はこういうふうに思っていてこうこうこうやから、どれも間違いじゃないけどな」って言ってくれる。

あくまでも「俺が思うこと」
みたいな感じで言うんですね。
俺はこう思うけど
おまえがどうとるかは知らんねん、
みたいな。
だからこれが正しいね、
みたいな言い方をされたことがなくて
おれはまぁこういうふうに信じてる、みたいな。

皆川:すてき。最高のお父さんですね。

はなみさん:聞いたら教えてくれるし。
私、両親が唯一いつまで一緒にいても
把握できない人だと思ってるんです。

どんなレクチャーにいったり
講座にいったりしてもその人達の考え方1時間で、
あ、こういう人なんだなっていうのが
絵として見えちゃうんですよ。
客観的な私の中の絵が遠くから見えるんですよね。

お父さんとお母さんはいつまでも、
近くて、どこが終わりで
どこまで考えているのかの範囲が
まだ見えないっていう。
ずっと一緒にいるのに。でもそれが大好きで。

皆川:深〜いものを感じる?

はなみさん:そう、未だ知らないことがある、
まだこの人たちから学べることがある
っていうところがすごい好きですね。
パートナーも選ぶ基準。把握できない人。(笑)

皆川:それ、パートナーのハードルあがるよね。(笑)

はなみさん:全然違うフィールドでもいいんですけど私が把握できないっていうのが魅力的で。

皆川:それはもうアーティストしかないですね。(笑)

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はなみさん:でもちょっと早熟だったのか、
友達やまわりの環境とと
どううまくやるのかがずっと課題でした。
すごい自己肯定感高めたと思ったら
次の日はあれっ みたいなことを学校で教わる。
お前なんかそんなこと絶対できへん
て言うような否定的な先生って
いっぱいいらっしゃる 。(笑)

 

現実のギャップが激しくて。
それが最初は結構ショックでした。

これだけ世界が違うんだ、
大人でも これを肯定しないんだ
っていうことが結構ショックだったんですよ。

でもそれで不登校になるとかはなくて、
私は大人の人達に何かを伝えたいと思ったら
その人たちのコミュニティに入る
というスキルがいる
+(プラス)
その人たちに伝えたいと思うのであれば
私がその人からリスペクトされる人にならないと
聞いてくれないと思ったんです。

だから勉強を放り投げることはなかった、
あれだけ意味ないと思っても!(笑)

あの人たちと同じ軸で測ってもらうには
この世界にいた方がいいかなと思ったんです、
ディスアグリーする(同意できない)ことが多くても。

だから友達にこのキャラのまま
どうやって受け入れてもらえるか、
変な奴って思われずに済むか、
どうやったら
ジョークっぽい変な奴を通していけるのか
バランスをずっと探る小学校・中学校時代でした。

 

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<後記>第1話では、小さい頃どんなだったの?
ということを伺いました。
次回は
「ものごとの成熟した視点をどうやって身につけたか」
です。
これ大人の私たちにもめちゃ参考になります。
わたし、すぐやってみようと思いましたよ!
お楽しみに。

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