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インタビュー/世界は広いな大きいな

お母さんは、恩師の先生は、鈴木大裕さんをこう育てた〜アメリカの高校へ。鈴木大裕さんインタビュー③

2018年11月4日

高知県の限界集落・嶺北地区で教育を軸に町おこしをされているNPO法人SOMAの副理事であり
教育研究者・鈴木大裕さんにインタビューさせていただきました。(2018年夏の高知にて。

<第1話>
➡高知の自然のなかで幸せな子どもを育てよう!①〜教育研究者/鈴木大裕さんロングインタビュー

<第2話>
➡ 公教育って何だろう〜教育研究者/鈴木大裕さんロングインタビュー②

お母さんは、大裕さんをこう育てた〜アメリカの高校へ

皆川:ところで大裕さんのお母様は、どのように大裕さんを育てられたのですか?

大裕さん:僕は小さいころアトピーがひどかったみたいで、
うちの母親は
「体質改善の注射をするので毎日連れてきてください。体質改善をしないと死にます」
って医者に言われたみたいなんです。

毎日注射なんて…と思った母親は、
家に帰ってメモを振り返ってみたら、
プールに行っていた夏の時期は症状がマシだったってことに気づいて、
僕をスイミングに入れて毎日連れて行きだしたら治ったんですよ。

その経験を通して、
「生きてりゃ上等」
っていう覚悟を決めたみたいで、
勉強やテストのことも何も言われなかった。宿題しろ、とかも言われなかったですけど、
それ以外の生活のことは厳しかったですね。

皆川:お母さまが勉強しろって言わないってことは、ある種空白の、レールが引かれていない状態、
「自分で選ばないと」という状況が生まれますよね。
その時に大裕さんが教育の道を選んだのはどういういきさつだったんですか?

大裕さん:それは一人の先生との出会いです。

高校で留学したアメリカは、今まで自分が受けてた教育と
全然違っていて良い意味で衝撃でした。

何がよかったかっていうと、もうすでに正解のある問いを追求するんじゃなかったことです。
英語の授業では、教科書ではなくて普通に売られてる小説を読むんですよ。
一つの小説を読み合ってみんなで議論をして、ひたすらエッセイを書かされました。

先生には、
「どうして君はこの言葉を選んだの?」とか、
「どうしてそういう風に思ったの?」とか、
とことん問い詰められて、
「ハイやり直し」、と何度も突き返されました。(笑)

大裕さんの生涯の恩師Mr. Walker。

日本の息苦しい教育システムの中で
「ユニークな存在になれない」気がしていた16歳の僕の中に、
何か特別な「声」をみつけてくれた人です。
彼がかけてくれた、
「君は将来きっと有名な作家になるだろう」
という言葉を励みに今も生きています。
by 鈴木大裕さん

大裕さんが脳腫瘍で逝去された先生に書いた最後の言葉
(ブログ「あなたと分かち合いたいこと」より)

「どうか見ていて」
https://daiyusuzuki.blogspot.com/2011/08/blog-post_24.html

 

既存の正解ではなく、
自分だけの真実を求められてるんだな、って思いました。

その時に、自分が日本で受けてきた
暗記主体の教育って何だったんだろう、
という疑問が自分の中に湧いてきました。

そしてその先生の授業を受けながら、
自分は人生で初めて「学んでる」って思ったんです。
だから、勉強は大変だったけど、
何か気づきがあった時などは心の内面的な広がりを感じましたし、
自分の精魂込めたものを認めてもらったときは
ほんとに嬉しかったですね。

その先生に出会ってなければ、
自分は教育を目指してなかったです。

アメリカのエリートは、あえて子どもをリスクのなかに投げ込む

その高校時代の友達は
コメディアンになったのもいるし、
メジャーリーグのマネージャーやってるのも、
俳優もビジネスマンも政治家もいる。
全寮制の私立で、いわゆるリベラルアーツの素晴らしい学校でした。

その時に思ったのが、アメリカのエリートの親は突き抜けてるな、って。

何がって、
まんべんなくできる子を育てようなんて
ハナから思ってなくて、ひとつできればいい、
とことんそれを突き詰めろっていう方針なんです。

だからすごい優秀なアメフトの選手が、
算数が全然できなかったりするわけですよ。
でもオッケー。
みんなそれぞれ輝く場所を持っていたし、
求めてもいた。

コメディアンになった子は校長先生に直訴して、
5分時間をもらって全校集会でみんなを笑わせたり、
音楽が好きな子はジャズをやってた音楽の先生とバンド組んでみんなの前で披露したり、
みんなバラバラだけど一つのモノをしっかり持ってて。

高校生なのに身に着けてるウェアには
全部スポンサーがついてる子が何人もいました。

あっちの高校は4年制で、
小学校5年、中学校3年
っていうところが多いんですけど、

11年生の時にアウトバックっていう
うちの学校の名物行事がありました。
冬の雪山に10日間キャンプに行くんですね。
気温−23度の雪山で、そのうちの3日間を
たった一人で過ごさなくてはいけないんです。

鈴木大裕さんが通っていたHolderness Schoolの名物行事、アウトバックの写真。

何が言いたいかっていうと、
アメリカのエリートの親たちは、
お金を払ってあえてリスクの中に子供たちを放り込んでるってことなんですよ。

日本でも既に、公立学校ではリスクをとれないようになってきています。

面白い話があります。

僕が中学校で教員してた時に、
野球部つながりでお世話になってた
名物監督がいたんですね。

その先生には息子さんが二人おられて、
ひとりは抜群にセンスが良くてお父さんも分かっていた。

でも自分が公立中の教員であるから、
強くもない地元の公立中の野球部に
その子を入れるのか、名門私立中に入れるのか
で迷っていたんです。

そこで、市立船橋高校の石井忠道さんっていう名物監督がおられて、
アドバイスを乞いに行ったんですね。
そうしたら、
『今の時代は理不尽さをお金で買う時代だから』
って言われた。
それで迷わず名門中学に入れました。

朝練が7時に始まる。
3年生が6時に、2年生が5時に来る。
1年生は4時に行かなくちゃいけない。
それに間に合うためには2時に起きなくちゃいけないっていうんですよ。

しょうがないから家族でもう少し東京寄りの場所に引っ越した。

結局その子はその私立中学校で野球を頑張り、キャプテンまで張って、
横浜高校に進学して松坂の後輩になって、キャッチャーやって、
いまは日ハムのスター(近藤健介)選手ですよ。

今、甲子園見たら私立ばっかりじゃないですか。
でもそれ当たり前なんです。
公立だとすぐにクレームついちゃって
厳しい指導もできない。
でもやっぱり私立だったら、厳しい環境がイヤな子は、
そもそもそういう学校を高いお金払ってまで選ぼうとはしないだろうし、
学校の規則に従わない場合は退学だってさせられる。
だから、残念ながら、今の世の中ではお金のある人たちは
あえてお金を払って「むごい」教育を買うのです。

『むごい教育』っておもしろいエピソードがあります。

今川義元が徳川家康=竹千代を拉致して人質にして
『こいつにむごい教育を与えろ』って家来に言いつけたんですって。

何か月か経った時に義元が竹千代の様子を見て激怒した
って言うんですね。
家来をけちょんけちょんに叱って、
『俺はむごい教育を与えろと言ったはずだ。なんだこれは!』と。
「食事もろくにやらず、朝から晩までこき使いました』
という家来たちを、今川はこう叱りつけたそうです。

『俺が言ったのはその逆だ。甘いものを食べさせて、好きなものは全部与えて、好きなことをやらせ、女を与えて…。そういうのをむごい教育と言うのだ』、と。

過酷な環境にいれば、生き延びようとして
いろいろ工夫するわけじゃないですか。

勉強させてもらえなかったら
勉強したいって思うようになるじゃないですか。
要はハングリー精神です。
やっぱり今なかなかそういうのは
公立では難しくなってますよね。
部活なんかほんと心配です。
公立では部活もまともにできないようになってきています。

だから日本もアメリカみたいに、
お金を払えないとスポーツも一生懸命できない
っていう時代がくるかもしれないですよね。

恩師のK先生がずっと言ってるのは
『まともって言われてるうちは一流じゃねえんだぞ。一流の中にまともなやつ一人もいねぇだろ』
って。僕はその言葉を支えに生きています(笑)

そして学校に来れるんだったら来たほうがいいけど、
やっぱりどうしても来れない子って中にはいるんですよね。
これは無理だとおもったら、K先生ははっきり言います。
いいぞ、学校こなくていいから、って。
人生80年の中のたった一年だから気にすんな、って。

皆川:学校にどうしても行けない子は、
そういう先生と会えたら本当に楽になるんですけど、
「なんでもいいから来ましょう、学校に来ることに慣れましょう」
って保健室にじっとさせておく・・
みたいなところも多くて、
なんだかなあと思うんです。

「学校がつまらなすぎて、行ってる時間がもったいない」
って言う子も多いです。

大裕さん:一つの問題は、教員になる人のほとんどが
優等生だったということです。
学校でいい思いをした人が教員になるのがほとんど。

中には学校に対して恨みを持ってて、
自分が出会ってきた先生とは反対の先生になるんだ
って子もたまにはいますよ。
でもほとんどが学校でいい思いをしてきた優等生です。

皆川:不登校の子たちみんな言うんですよね。
先生は好きで先生になっていて、学校が好きな人がなってるから
僕たちの気持ちはわからないって。

それっていうのは恨み節にも聞こえるけど、
反面、学校の先生は、広い社会に一回出てから
来ていただく制度があるといいなって思わないでもないですね。

大裕さん:それ聞いて一つ思うのは、やっぱり教員が世の中を知らない
っていうのは絶対あると思う。
僕自身が教員になったのが28だったんですよね。
同期の中では三番目に年齢がいってたんですよね。
でも回り道してよかったなって思います。

ただ今の世の中って、
どうしてもビジネス界のほうが上に見られてる。
だから民間人校長っていう発想がでてくる訳じゃないですか。
逆もあるといいなと思ってて、
例えばビジネスマンが教室に来て
いきなり授業持つとか、学校の先生の大変さっていうのも
みんなで知っていかないと。
対等な交流が必要だなっていう風に思います。

教員が企業に行くのもいい。
でも企業からも現場に来て、
今の子どもたちがどうなってるのか、
今の世の中がどういう風に教育現場に表れているのか
っていうのはぜひ見てもらいたいですね。

皆川:ほんとそうですね。
先生たちの日常を拝見すると涙出そうです。
お母さんたちは純粋に先生たちを応援したいって気持ちで行った方が
絶対いい関係が生まれます。

わたしもいつも言うんです。
うちの子こうだから分かってくださいこれ権利だから、
じゃなくて。

先生たちに
「こういうことができない、こういうことができる、応援してください!って言おう」
ってそういう言い方でアプローチしていかないといいものって生まれないかもしれないよねって。

<後記>

リスクのなかへ投げ込む、
それは「見えない未来に対してのチカラを育む」とも言うことができるかもしれません。

HSCの子どもはまず安心な居場所を作ってあげる必要がありますが、
それができた子は
必ず次にチャレンジしていくことができます。

誰にとっても未来は未知なるもの。

こうすればこうなる、が
100%通用するわけじゃないエリアであることは
大人は誰でも知っています。

大人になって
そういう未知のエリアに立ち向かう練習を、子どもが若いうちから意識して
用意するということ。

そして必ずそれを乗りこなせる
と子どもを信じること。

それはHSCでもそうでなくても
大切だなあと心から思いました。

大裕さん、今回も深く心に響くインタビュー
ありがとうございました。

嶺北高校に国内留学してくる高校生のために寮にするかも、
と伺った素敵すぎるお家。

次回は最終回です。どうぞお楽しみに!

<鈴木大裕さんプロフィール>

1973年神奈川県生まれ。16歳で米ニューハンプシャー州の全寮制高校に留学。そこでの教育に衝撃を受け、教育を志す。コールゲート大、スタンフォード大教育大学院で教育学を学び、帰国後に通信教育で教員免許を取得。千葉の公立中で6年半教える。後にフルブライト奨学生としてコロンビア大教育大学院博士課程へ。土佐町での教育を通した町おこしに取り組む傍で執筆・講演活動も行なっている。著書に『崩壊するアメリカの公教育:日本への警告』(岩波書店)。

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