2018年3月4日
子どもたちが小さいころは、川崎市の生田緑地に本当によく行きました。
そしてその中に、私の愛する岡本太郎美術館があります。
岡本太郎は、そのエネルギーにあふれた絵と
万博の太陽の塔で、
日本では知らない人はいないアーティストでしょう。
岡本太郎の美術館の常設展示室のなかに、
「家族ルーム」的な丸い小さなホールがあります。
何年か前に、
そこで太郎の母親の顔を見たとき、ぎょっとしました。
およそ「母親」という日本人の概念から遠い、
「異端と狂気」の顔でした。
ありました、その写真。
この目は普通の目じゃない。
調べてみると、
母・かの子は裕福な家庭に生まれ、きちんと教育を受けましたが、
恋多き女で、
20歳そこそこで文学青年と恋におち、破たん、そして精神病という、
若くから影のある人生でした。
そのころ太郎の父、一平(マンガ家)と結婚しましたが、
一平も稼いだお金をギャンブルにつぎこむ、典型的な放蕩おやじ。
でも一平の容姿は、おしゃれで文化人の匂いがするいわゆるダンディな雰囲気でした。
そして母・かの子は結婚して、子どもを(太郎を)産んでからも
恋多き女であり続けたため、
なんと夫公認で愛人を自分の家に住まわせ、一妻多夫制であったそうです。
のちに、女の子と男の子を生みましたが、(岡本太郎の妹・弟)
どちらも幼くして亡くなりました。
かの子は典型的な芸術家肌で、家事も育児もそっちのけで
作品をつくることに没頭していたそうです。
執筆家に専念したのは晩年ですが、
小説・歌集・随筆・評伝などを残しています。
また、仏教の研究家としても有名になり、
講演会などもしていたようですが、
脳溢血で49歳の若さで亡くなりました。
岡本太郎 作品1936年 痛ましき腕
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前回行ったときには、展示室に出ていなかったこちらの痛ましき腕、
ホンモノの投げてくるエネルギーはすごかった。
太郎は「芸術は爆発だ!」の言葉で有名ですね。
芸術の中に毒を持つこと、
そして両極、を持つこと。
絵画などのホンモノがもつエネルギーは、
磁場となって人を惹きつけます。
高いエネルギーの岡本太郎作品は
それこそ高いエネルギーを持っていないと
受け入れることができないと感じています。
普段、岡本太郎の作品をとても楽しんで見ていても
(特に、おととしだっけ、生誕100年のときの展示は
すごくて何度も行った。)
体調がなんとなくすぐれないときに行くと、
やられてしまい、
気分が悪くなってしまうことがあります。
どうしてなのかな~と今回考えていましたが、
多分、
岡本太郎作品のもつエネルギーに
独特のいびつさ、
独特のゆがみ、
があるからだと思います。
そのいびつさ、何かがねじれた強力なエネルギーは、
自分に元気や体力があるときには、
離れて見て楽しむことができるのですが、
体力がないと (体力、ということについてはこれまた深いのでまた今度)
そのねじれに巻き込まれて、
自分のポジションをしっかりとっていることが難しくなる。
足元がふらつく、とか足をすくわれる、という感覚に近いかもしれません。
そういうことを感じます。
彼女は2005年に79歳で亡くなりますが、
太郎を死ぬまで人として支え、
岡本太郎記念館の館長として、
太郎の死後も太郎の作品を正しく世に広める努力をしました。
彼女のインタビュー画像を見たことがあります。
輝く目で、飛び跳ねそうなエネルギーをもって、
お話をされていました。
「ねえ、ここには女の子がたくさんいるみたいだから言うけどね、
男の人が何かやりたいってときに、
それいい!それすごくいいと思う!って背中を押してあげるのよ。
それで男の人は元気になるから。
男の人が元気でないと、女はつまんないのよ。」
そのようなことをお話されていました。
戸籍上はなぜか養女として彼女を迎えていますが、
仕事上もプライベートでもパートナーだったことは
間違いないでしょう。
太郎ちゃん、よかったね
そとへ出るとそこは秋。