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HSC心の雄叫び

理解できない親子、理解できる親子〜今日は代表皆川自身のおはなしを。

2018年6月28日

お子様のお悩みを伺っていて、思うこと。

それは

親子関係というのが
本当に本当に人生の土台なのだなあ〜

ということです。

いわゆる自己肯定感と言うのもこの関係で決まります。

自分がどのぐらい

「生きていて良い存在」
「ただいるだけで愛される価値のある存在」

だと思えるか、ということです。

もともとひとは「そこにいるだけで愛される存在」なはずです。

けれども、そこに最短距離で行けるひとと、
それが学びとして課題になっているひと
がいるのですね。
(それ自体、いい、悪いではありません。ただ、そうである、というだけです)

そこで今日はわたしの親子関係のことをお話しようかなと思います。

うちはわたしがHSP、母は非HSP、父はHSPだけど人生の困難が多く
物事に対してネガティブな反応の人、です。
(乱暴な説明すみません(笑))

そして娘ふたりはHSCです。

 
父の擬態HSPというのは、
HSPでありながら「そんなの認めない!」という人です。

さあ、あなたはどのポジションにご自身をおいて、この記事を読みますか?(^ ^)

HSPのほとんどのひとが

「自分の言うことは、理解されない」
「話が通じない」

というある種の疎外感を背負って成長していきますが、
ご他聞にもれず、わたしもそうでした。

弟2人のお姉ちゃん=長女に生まれた私は、
幼い頃から自分に課された役割が
【明るいおおらかな子】
であることに気づいていました。

だからおちゃらけたり、わらったり、
完璧に屈託のない明るい子、
というのを演じていました。

母親が寝坊して学校に遅刻したときも、
3歳したの弟が泣いているので
わたしは「明るくしなきゃ」とがんばり、
弟を教室に送ったあと、
教室の前のドアからわざと
「おはようございます!」と
にっこり入っていくおおらかな子どもを演じ、

しぬほどドキドキしていることに蓋をし、
帰ってから疲れて気絶するように昼寝をしていました。(爆)

【私はなんて明るい子!】
と思いこむことができる、
自分をも騙せるほどの精巧な演技でした。

当然のことく
母親は周りの大人に対して
「この子は太陽のような子なの」
と言って回っていました。

が、その裏で
私は人との関係性づくりをするために
涙ぐましい努力をしていたのでした。

「はじめて人と友達になる時はこういう風に声をかけるといいんだ」

「先生に言葉をかける時はこういう風に言ったらいいんだ、こういう風に言ったらダメなんだ」

「お友達がこういう顔した時は、自分が言いたいことを引っ込めたほうがいい」

「大人は常に上下の関係を求めるものなんだ」

そういうことを延々と観察し、
人との関係において地雷を踏まないように
すべて心の中でメモ書きにして
壮大な数のある引き出しに大切にしまっている、

そんな毎日でした。

大人になるにつれてその大切なメモ書きは
当然のことながら増えていきます。

だからつつがなく平和に、
人を怒らせることなく暮らすことができるのでした。
そして私は太陽のような子どもと言う自分の役柄を完璧に遂行することができる「器用さ」のある子供でした。

けれども母親はあいかわらず
「本当のわたし」には目もくれません。

自分にとって全く興味のないプレゼントをしてくる誕生日がいつも憂鬱でした。

私こんな洋服1回も来たことがないのになんでこの洋服をわたしに?

いったいどこをどう勘違いすれば私がこの色が好きだと思うんだろう?

あー、確かにこの色が10年前は好きだった。
でもこの10年はこっちのほうにシフトしているのに何も見ていないんだなあ。
ああ、また私のことを違う誰かと勘違いしている。。。。

母親のまなざしはいつも私をの顔の横を通り抜けて、後ろにいる他の人を見ている、

そういう感じです。

わたしは
「本当の私を理解してほしい」

叶えられることのないその思いを抱え抱えたままずっと生きていました。

それでも
違いを尊重してくれたら、それでよかったのです。

ですが母は

「こういう食べ方がぜったいおいしいからこうしなさいよ」

「これが絶対いいから」とこれ以上ない圧を持ってオススメし、

「あなたがよければわたしはどうでもいい」と言いつつ、

自分が演奏家かダンサーになりたかったという夢をわたしに託したのでした。

わたしはさも、自分もそうしたい!というように思い込むことに成功し、
東京芸大にすすみました。

でも身体は嘘をつけなかった、
まず、腰が痛くなり、しまいには歩けなくなりました。(手術までいきました)

それでも両親の希望をかなえようと留学まで視野にいれていたら、
今度は左手が動かなくなりました。
(このへんものすごくカットしていますw)

心が大人になってきた中学生で
太陽のような子を演じるのはやめました。

無口で貝のように口を閉ざしました。
多分母は「思春期だから」と思ったことでしょう。

でもわたしのなかでは、はりつめた糸の限界でした。

そして、母親に理解してもらおうと思うのは、
24歳のときにけりをつけました。

わたしは一度も親に本心を打ち明けたり、
相談したりすることのない、
実は警戒心でいっぱいの大人に育ちました。

それは
「だれかに体重をゆだねたり」「甘えたり」
「相談したり」することもなく、
かなり偏った大人になるということとイコールです。

「役にたつ人でいないと生きていてはいけない」

「がんばっていないと人から絶対に認められない」というビリーフ

を心のなかにしっかりと育てて生きてきました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

対して娘2人は完璧にHSCです。敏感すぎる繊細すぎる心のうち、
人の気持ちがわかりすぎちゃうところ、
ものごとの真実が見えるところ、
この先どうなるか読めるところ、
平和で良心的すぎるところ、
競争心皆無なところ、

わたしにそっくりでした。

それなのに、

幼い時は子供らしい、よく寝る、よく食べる よその子が羨ましくて仕方なかった〜〜〜!

私はかなりの精度で子供たちが今どういう気持ちか、
何を考えているのかがわかります。
(とは言え普通と違う子どもたちをを不安に思い、どうやって育てれば!?!?と思っていた時代には全く理解していなかったと断言できます。(笑)理解することを恐れていたんですね。それは自分を無条件で認める、と正比例ですから)

・・・・・・・・・・・・

さあ、ここへきて、わたしの中で本当に大きな地殻変動が起こりました。

わたしは今、この感性キッズの仕事を天職だと思ってやらせていただいています。

親から理解されなかった子どもの気持ち、
理解された子どもの気持ち、
非HSP === HSC
HSP   ===HSC 

の両方の組み合わせ、両方を心から理解できます。

これまでの人生においてこの両方の組み合わせを当事者として体験させてもらいました。

感情的にはとってもきつかった。身体も なんどもこわした。
(上記以外にもなんどもありました)

でもその組み合わせ、そこで何が起こるのか、そのメカニズムも心の動きも
すべてくまなく見ることができました。

それは確実に今の仕事に必要なことでした。その人生のカラクリが理解できたんです。

そうしたらね、なんだか笑えてきました。

いつも方向があさってで、

わたしのこと何〜にも理解しなかった、

そして尊重ということの意味を知らない

お父さん、お母さん、心からありがとう!!!
(正確には、お父さんはわかっているけどわからないふりをしています)

このためだったのね!

わたしにこのことを経験させるために、あさってであんぽんたんな役割を(失礼)、

こんなに50年以上も続けちゃって、わたしに嫌われちゃって、無視されちゃってそれでも相変わらず、わからないでいてくれて!!!(笑)

あ・り・が・と・う!!!!

これから母に手紙を書きます。

 

上記のことを書いてそこに存在してくれてありがとう、と書こう。

そして
「もうそんなに長くないだろう人生の最後で脇目も振らず最高のものを取りに行け!自分のために生きて!」って書こう。

母はとてつもなくエネルギーのある人なのでいつもどこかにでかけています。

でもいつも
「人生の矛盾を考えないための時間つぶし」だったり
「孫の世話があるから」という言い訳で
最上のものをとりに行っていない、
のを昔からわたしは知っています。

父は浮気ばかりしていた人だったので、
母も自分を理解してくれる人ロスだったことでしょう。

お母さん、もうすぐ死ぬかもなのよ、
(いやそういう人に限ってしぶといかもだけどねw)

自分のことだけ考えて、

自分のために

最高のものを取りに行って!

「そのへんの」コーラスでいいにするんじゃない、
遠くても自分が最高だと思うところへ行くんだよ。

あの人に誘われたからとか、悪いから、とか言ってる場合じゃない。

自分の想いと自分の希望をうやむやにするんじゃない。やりきってちょうだい。ね。

そう書きます。


さて、みなさま
どの立場としてお読みになりましたか?

子どものことを理解できないと感じているお母さんにはきつかったでしょうか。

ごめんなさい。
でもそれでもいいんです。

わかりあえるか分かり合えないかは、単なる組み合わせの問題。

お母さんのせいじゃない。

そして人生で何を経験しようかとよく
「青写真」を生まれる前に決めてきているという話を聞きますが、
もしもそれが本当だったら、

「わかりあえないけど、最高の関係になる」

ということを経験するために生まれてきたかもしれません。

そうなんです!
共感できなくても、相手を自分のこととして理解できなくてもそれは可能なんです。

「自分の価値観だけを見ずに子どもが本当にやりたいこと、向いている方向を見極め、相手の人生を尊重してあげる」ことができたときにそこには新たな絆が生まれます。

はじめっからナチュラルに分かり合えている親子より

何十倍の喜びが生まれるかもしれない。

逆にわかりあえる、最初から理解できる組み合わせは
人生の「協働者」としての役割があるかもしれないですよね。

子育てとはなんと奥深い精巧にできたプログラムでしょうか。

神様、やるな!!(^ ^)

 

さあ、
今日も子どもとの人生を最高に楽しみましょう!

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