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HSPであるママへ うちの子育て奮闘記

HSCだからって特別扱いして囲ったりするのは、よくない!という批判にどう答えるか。

2019年10月3日

さて、わたしたちがHSCについて考えたり、研究を深めているあいだにも
タイトルのような批判はいたるところで聞かれます!^ ^

「HSCなんだから、みたいに特別扱いして子どもを囲ったりするのは、よくない!」

「それは不要なレッテル貼りなのではないか?」

「そんなふうに特別扱いして、社会で生きていけない弱い子になったらどうするんだ」

代表的なのは、このあたりでしょうか。

基本、そのような暴言を吐く方とは話ができない、
とシャッターを閉める場面が多いかもしれませんが、
それが家族であったり、友達のママであったり、自分の友人出会ったりする場合は
とっても辛いですね。


前提①まず、上記の言葉を言う人には、大きな誤解があります。

子どもはなんにも気づいていないんだから。
という誤解の前提のうえに立っています。

いいえ、HSCの子どもは早い子で3歳くらいから気づいています。

自分が他の子と違う、ということを。
そして他の子が平然とできることが、自分はできないんだ、ということを。

何か言った時に、みんなの顔が驚いたようにこちらを見て、波が引くように静まってしまうような瞬間。

みんながわっと始めたことを、呆然と見守って観察してしまっている瞬間。

先生の本音と建前が違うのに、みんなは気づいていないんだ!とハッとした瞬間。

親も知らないそういう瞬間をへて、意識にものぼらないぐらいの確実なビリーフを構築します。

「なんか自分だけ違う」
それに対して違いとして尊重してもらえないときに

「自分だけ、受け入れられない」「自分だけ、わかってもらえない」

そういう寂しさが降り積もって、親も知らないうちに孤独感を募らせていきます。

 

これが「発達性のトラウマ」です。

子どもたちはレッテルなんて言われなくても、自分の違いを深いところですでに受け取っています。高感受性なんです。

受け取っていない子は、いきづらさは感じません。


デンマーク公立小学校の遊具

 

②子どもは、ただ単に「本当の自分を理解してほしい」とだけ思っています。

たとえば自分は女性なのに、顔が男の子っぽくて、子どものころ男の子だね、男の子っぽいと、
ずっと男の子のように扱われていたらどんな気分でしょう。
え?女だよ?という違和感とずっと生きていくことになります。

日本人なのに、街へでるたびに「コリアン?」「チャイニーズ?」「モンゴリアン?」などいつもいつも違う人種と間違われて日本語でない言葉で話しかけられる毎日だったら、どんな気分でしょう。

え?わたし日本人なのに、わからないの?と毎日もやもやしますよね。

HSPの場合やっかいなのは、それが内面性の特徴で外から見えない、ということです。

そういう意味ではLGBTの方たちと同じですね。

HSPは、自分がHSPだとわかって、すべてのからくりが解けて「な〜〜んだ!病気とか異常じゃなかったのか」
だったら活かそう!という道を歩く人がほとんどです。

セッションでHSCちゃん、本人にあなたはHSCだからと告げるのはいつがいいか、とよく聞かれます。

本人が困ってなければ別に一生言う必要はありません。

けれど、どうしてなんだ、自分はどうして浮いているんだ、と悩んでいるときは、
アイデンティティな部分として教えてあげてもいいかもしれません。

けれども、まわりと違う!ということに恐れと不安を持ちすぎていないとき、にしてください。
(ショックだけを植え付けそうならやめる、それをポジティブに受け取れそうなら言う、という観察のうえで) 

人は本当の自分を理解され、尊重されたときに、親とのあいだに「愛着」というものを形成します。

それはのちのちすべての対人関係の安全基地になる、大事な大事なものです。
悩んでいるときに「HSCっていうすばらしいギフトな神経系なんだけど、5分の1しかいないから、
ひととは違うって感じることが多いよね」と親が共感と理解を示してくれたら、どんなに心強いでしょう。

そして「あなたはあなたのままでいいから、それを出していいんだよ」と言われたら、
ご自身がその立場だったら安心しますよね。

ここにある前提の誤解。

厳しく育てないと、強い子にならない。

これ、うそです。子どもは安心の親子関係を持てたときに、チャレンジしたり自立したりできる。

これはあまたの学者さんによってすでに証明されています。

本当に理解してくれる人と一緒にいたい、大人でもそう思いますよね。

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③じゃあ、上記のようなさってなアドバイスをしてくる人にどういうふうに言いましょうか。

その人がヒステリックだったり、上からの物言いな場合は、
説得はあきらめてその場をはなれましょう。

言葉が通じるかどうかより先に、その人は自分自身が満たされていない、
自分自身が理解されてこなかったという愛着の不安をかかえているかもしれません。

または「自分だって厳しく言われて育てられてきたんだから」というトラウマをかかえて、
それを他の問題にすりかえて攻撃してきてるだけかもしれません。

その人が問題を抱えている場合は、話合おうとすると、感情的になったりする恐れがあります。

そこに付き合うのは、すごい覚悟が必要となりそうです!(笑)

「私の頃は○○だった」「これが正しいんだから」などの言葉が出てきたら要注意。^ ^

話ができそうだったら

「レッテルを貼らなくても、この子はもう既に、周りと自分が違うって、心の中で自分を責めてるの。
違いを自分の長所にかえていってほしいから、それにはHSCっていう考え方がとっても便利なんだよ」

という方向はいかがでしょうか。

同じ目的を共有しませんか?というメッセージです。

対立構造にするのではなくて、同じ方向を向いてますよね?わたしたち、と確認する手法です。
(ビジネスではよく使います)

「あなたもこの子の幸せを願ってくれているんですよね、ありがとう。だったらこの方法はどうでしょう」

というところに一緒に立ち、相手と問題を共有することをご提案します。

 

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