コラムColumn

HSCの母のつぶやき

HSP/HSCな自分について腑に落ちるのにはなぜ時間がかかったんだろう。そして感受性について。

2020年8月15日

前々回は息子のことを→カラダとココロの快不快感覚でしなやかに選び取る

前回は娘のことを書いたので→「それは、娘さんがあなたに教えてくれてるんですね。」

今回は自分のことを少し書き始めようと思います。

 

 

HSPということばでカテゴライズするということには

少なからず抵抗がずっとあったのですけれど、
その概念の内容については、
それはそれは非常に非常によくわかる、って

直感的に感じていました。

 

 

なのにですね、自分事となると知った当初は、

「いや、私自身はそれとは違いますけれどね。
私はそこまでではないのですけれどね。」
なんて思っていたのです。

 

 

チェックリストにしても、
そこまで超高得点とも言い切れないかも
というか、
うーーーん、それはどうだろう、、、
などと考え込んでしまう設問も多くて、
チェックしきれなかったのでした。

 

 

自分ってば、やっぱHSPっていうやつだ

と言わざるを得ない、
というか、
この、こういう質はそういうネーミング
の元に自覚して眺めてみるのもいいんだな
というか、、、

 

ていうか、
まさしくむっちゃ

まんまHSCってヤツ
だったやんね

 

と認め、納得して腑に落ちていくまでに、
けっこう時間がかかりました。

 

 

そのスローで慎重な頑固さ?

みたいなのもまあ実に自分らしいし

たぶんHSP(HSC)らしいようにも思い

笑っちゃうのではあります。

 

 

腑に落ちるのが遅かったのは、それは、

最初まだHSP(HSC)という概念への理解が

浅かったからに他ならないのですが、

 

 

「私は別に自分をネガティブに捉えていないし、
私は私が超好きだもの。


そこまで超超繊細な質というほどじゃないの。

 

ちょっとカラダが弱くって、
ちょっとメンドクサイ性格なだけで。。。」

などと、思ってもいたのですわ。

 

 

HSPな人たちがなにも
自分をネガティブに好きじゃないって思ってる
場合が多いわけでもないでしょうに、

なんだか失礼しちゃう発言ですよね~。

 

じゃあ、ちょっとカラダ弱くてちょっとメンドクサイ
ってなんだよって、

思いつくことをほんのほんのちょっとですが、

書き出してみますね。

 

 

【ちょっとカラダが弱くって】

カラダの大きさは(あんまり関係ないかもだけど)
ずっと小さくって、

子どもの頃ほど、頻繁に定期的に調子を崩して

しまうことがありました。

 

自家中毒という恐ろしげなネーミングの
状態(今、正式?には周期性嘔吐症とか
アセトン血性嘔吐症とか言ったりするようです。)

になっちゃうのがしょっちゅうでした。

なるとほぼほぼ毎回点滴をして、
脱水をなんとか回復させていました。

“心頭滅却すれば火もまた涼し”

 

この故事成語をたぶん幼児の頃から知っていた私。
要は精神なんだ、原因はきっとメンタルなんだ
と自分なりにも思っていましたし、
「シントーはどうやったらメッキャクできるんだろー」
ってけっこうマジに思ってました。
いやー、笑えますけど。

 

長らく、病弱な子だ、だった、という認識を
自分でしていました。

車酔いが酷いのも小さい頃ほど。

三半規管の過敏さや成長度合いなんかが
もちろん関係しているのでしょうが、
メンタルもきっと大きいですよね。

 

今思えば、神経疲労の蓄積など起こりやすくて、
定期的にそれを一氣にチャラにするため、

カラダが強制終了をしてたのかもしれないなあ
と思ったりします。

 

つまりは、自律神経を整えるということを

倒れちゃったあとの対処療法以外にも
なんらかできていければよかったかな
と今の自分からは思いますが、
過ぎたことはどれもそれで良しです。

 

 

【ちょっとメンドクサイ】

 

あれこれたくさんの可能性を前もって、

とりわけネガティブなのをつい考える、想定する

ことで消耗するというのはよくあるパターン。

子どもの頃のおもしろジェットコースター体験例。
ああもしこれが故障して事故になったりしたら!?
って瞬時に考えちゃうだけじゃなく、その場合の

新聞記事が頭の中で映像化して見出し付きで出てくる
自分に笑いました。。。

しつこい慎重グセ。

 

変化にめっぽう弱い自覚。

 

かと思えば急に、説明は追っつかない直感で
ドカンとひとりで決めて動いたりもする。

おそらく傍から見れば摩訶不思議感。

感情反応の強さや共感力の高さは
上手く活用できてこそ。
揺れ易いこと、共鳴し易いことの自覚が大事。

 

匂いにそこそこ敏感なのは事実。

 

音感が優れてるとは思わないけれど、
地震の響きにいつもうろたえるとか、

それが揺れ始めるよりちょっと早い場合も
多いとか。。

 

 

どれも、書き始めると全然ちょっとじゃない
感じもあって、笑えますね。

 

 

 

お困りごとの真相

 

幼稚園の時、いつも本当に雷や大雨が怖くて
ひとり泣いていたら、
「せんせー、じゅんこちゃん泣いてる~。」

ってお友達が先生に伝えに行ってくれました。
なんだか情けなくって、

でも、どうしてみんなそんなに平氣なんだろう
この雷の光と音と大雨の氣配がどうして怖くないんだろう
すごいなあと思っていました。

 

 

自分は小心者なんだ、臆病なんだな
と子どもながらに思っていたかもしれません。
もっと子どもらしくあっけらかんと無邪氣な感じ
(これはこれでちょっと偏った子ども観ですが。)
みたいなことにけっこう憧れていました。

 

 

なあんて、それさえも、そうだったのか、、、

おそらく、より多くの刺激を
受け取りがちだったからという面もあったかもしれない
神経系の特徴らしきものが関係しているのかも

と、近年、氣づいたとき、驚きました。

そんなふうに徐々に理解が深まっていきました。

 

 

 

HSP概念の説明の時に例示される、

当事者が自覚する
「HSPであるからこそのお困りごと」
というのが様々あると思うのですが、

「私は困ってはいなかった!」
「今も困ってはいないです!」
っていう思いを自分は強く持っていたのかな

と感じます。

 

 

それは、ウソではないのです。
ウソではないけれど、
なんだかそのちょっぴり頑なめの主張に

何か隠れていそうですよね。

 

困っていた自覚はなかったのです、実際。

 

 

それは最初っからそういうものだと捉え、

自分はそういうものだと捉え、だから、
その延長線上に当然セットになって
取り組むんだ、となってた、
「自己改善&克服&成長マイストーリー」

として自分の中で処理されてるから
困ってなかったと捉えてるのではないかと。

 

 

なるほどなあってね。

 

 

困ってた、困ってる、とか自覚するのは
自分のせいなのに何?って自分に厳しくて
自分でそれは許さなかったのかも
と思うとちょっと健氣だななんて思っちゃいます。

 

 

けなげというか、
自分に甘くゆるゆるやってきたつもりながら、
まあ、けっこうパツパツ頑張ってもきてた
のかもと思ったりしています。

 

そういう意味では、
その頃の自分なりによかれと思って努めてきたこと、
克服、達成してきたと思っていたことは、
感じ取る力、感受性を、鈍らせる方向
(なかったことにしちゃうとかノリと氣合いでごまかす
とか、笑)での偽りの強さのようなものだった面も

多かったと思っています、ようやく。

 

 

 

強い・弱いの深層

 

いわゆるHSP(HSC)あるあるだと思いますが
そもそも勝手に自分を弱いと捉えていたので、
強さ、逞しさに対する憧れがあるんですよね。

 

 

でも、その強さや逞しさのイメージというのが、
たぶん本当の本質からは、ずれていたのだ
ということを、学びつつあるように感じています。

 

 

感じ取ること。
内外のさまざま微細な差異を認識することは、
まさに生きていることそのものです。
それは生命力の高さなのかと知ったとき、
ジーンとしました。

 

 

生命力そのものである感受性を否定しないで、
その精度や深度を追求していく方向で行きたいなと
ようやく、なんだかゆるっと反転して思っています。

 

 

それを追求していくと、
また調子悪くなるんじゃないかみたいな恐怖
があったりもしたのですが、
いや、たぶんそうとは限らない。

 

心身を緩めたり調整したりする方法を得ながら
本当の自分にとっての逞しさを探していくんだな
と、これからのそんな道を思っています。

 

 

 

子どもが本来持っているのだろうと思う
明るく軽く無邪氣な感じに
ずっと憧れのようなものを抱いてきたのですが、

一周廻って(?笑)

 

実は、私は、けっこう無邪氣かも? とか、

実は、私は、けっこうエネルギッシュでダイナミック
なのかも? とか思い始めちゃう、

 

数十年経ったHSCな私、進化中でございます。

 

 

 

◆前回までのコラム

・デンマークプログラムって自分にとってなんだったんだろう
カラダとココロの快不快感覚でしなやかに選び取る
「それは、娘さんがあなたに教えてくれてるんですね。」

 

 

writer: 京都の けんはな ☆ すぎえ じゅんこ ☆(24歳男性、21歳女性 の母)

・Facebook:https://www.facebook.com/junko.s11

・京都で逢う日 ~おもろいやっちゃ~:https://ameblo.jp/kenhana-tanoshihoue

 


photographer: 長束加奈(10歳男子、8歳男子、6歳男子の母)

・instagram: https://www.instagram.com/kananatsuka

 

 

 

 

 

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