コラムColumn

うちの子育て奮闘記

「それは、娘さんがあなたに教えてくれてるんですね。」

2020年7月26日

「それは、娘さんがあなたに教えてくれてるんですね。」

かれこれ、9年くらい前なのですが、それは、
自分の大切なエピソードについて話したときに
ある人から受けとったことばでした。

 

「教えてくれてる? ん? なにを?」

と私は思いました。

その時はそれ以上深める手段もなく、

でも後々ずっととても氣になって。

 

そのエピソードというのは、そこからさらに昔の

おそらく今から12、3年ほど前の、
私にとってとても大きな出来事だったのですが、

 

当時も、そしてその後に上のことばを言われた時でさえ、

 

その深い場所にある大事な本質部分が、
まだまだ自分には腑に落ちてはいなかったのでした。

 

 

近年、徐々に考えを深める機会がありましたが

このコラムリレーが始まって、
皆さんのお書きになったものを拝読することで
あ、と、さらに氣づける瞬間がありました。

 

子育てというものにおいて、ほとんどの場合、
教えられているのは親である自分の方なのだと、

やはりそういうことなのだと

氣づかされるというのでしょうか。

 

私と娘の間では、その名も、

「カルタの話のやつ」(笑)で通じるエピソードです。

 

まだ小学校の半ばだった彼女から、
ズバッと捨て身で切り込まれたように感じた
体験でした。

 

 

今思えば、その頃はちょうど

私が毎日仕事に出かけて心身ともに余裕なく、
彼女のストレスとか寂しさとか
そういうものが積もっていたタイミング
だったのかもしれません。

 

 

きっかけは思い出せないような些細なことでした。

 

『その頃にしては珍しく娘と口論になって、』

と、私は以前にその時のことをブログに

書き留めていました。
(そう感じていたということ自体、
前述の彼女の状態に氣づいていなかった
ということでしょう。)

 

 

口論の内容とは直接関係のない、
更に何年も前のことを持ち出してきて、
感情をぶつけてきたのでした。

 

きっと、それって彼女が幼稚園とかの

ことだったろうと思うのです。

ほんとに今思っても驚きます。

幼児期から数年の間、そのことを
心の奥に抱いていたということですもんね。

 

彼女の訴えによると、私に、
ふたりでいっしょにカルタをして遊ぼう

って言ったんだそうです。

 

 

お母さんは、いろいろ家の用事とか
忙しかったろうけど、
それでも、その時すぐにじゃないけど、
少し後だったけど、
カルタをいっしょにやってくれた、と。

 

でも、その時のお母さんは、、、

お母さんは、、、、、

楽しそうじゃなかった!

 

 

そう言って、泣かれました。

そんなエピソードです。

 

その時、自分がどんなリアクションをしたのか
どんなことばかけができたのかは、
覚えていません。

 

たぶん、たいしたことばは

返せてなかったでしょう。

 

正直驚きました。

なんだか、ひるみました。
かなり衝撃的でした。

 

なんじゃ。
この子は急に何を言うてる!?と。

 

 

当時余裕もなく、よくわからなかった私は、

こんな感情だったようです。
(9年程前、書き留めていたものを元に。)

 

 

え!? や、やられた・・・。
なんちゅー、するどい奴っ。
わかった? わかってたの?
だってやることいっぱいあって、

すぐに遊ぶとかできひんやん。
でもなんでそんな前の話・・・。
そんなに構ってもらってへんと
思われてるんやろか。
ガマンさせてるんか!?
なんか足りひんって言いたいのか!?
私がアカンのか。
た、たのしそーじゃなかったって、
これ以上、私にそれを求めるのかっ!?


ってか、ふたりでカルタやっても、
楽しないっちゅーねん 

 

どうせえ言うねん・・・。

 

 

 

なんとも、トホホですね。

 

幼き娘とのふたりのカルタを楽しめなかった
若き頃の自分を、あーあと感じます。

 

 

でも、その頃はそれで、
私も毎日が一生懸命だったんだろうなと
思います。

 

 

なに、この子、するどい? アイタタ。。。
みたいな衝撃があったことを覚えています。

 

 

思い返すと、これが、
彼女の洞察性みたいなのを感じた最初の頃
だったかもしれません。

 

 

でもずっとその後も長い間氣になって
忘れられない出来事ながら、
なぜそれがそんなに引っかかるのかが

自分の中で沁みてくるのには ずい分ゆっくり
時間を要した氣がします。

 

 

幼き娘にとって、
いつも120%自分を見ていて関わって欲しいのに、すぐにカルタをしてくれなかった、
そして、ああ、期待してたほど楽しそうじゃない

ということは、もちろん悲しい出来事だったのだ

とはすぐに思いました。

 

 

それは、母親の自分への愛情や関心の

バロメーターをはかるようなものとして。

 

 

でも、私の理解はそのあたりに留まっていて、
その後、言われることになる、
「彼女が私に教えてくれてる」って
どういうことなのか、
それがなかなかわからなかったのです。

 

 

 

娘はその後、思春期に入りそして成人し、、、
まあ人並みにいろんな悩みやしんどさも経験したりして、
なんだかんだありつつ、
私も、どこまで話してもらってたかわからないけど
そのたびに、トラブったりもめたりもしながら、
語り合って話もよく聴きました。

 

 

そんな中で彼女の質をさらに知っていって、
驚いたり感心したりすることもたくさんあり、

やっとこさ、氣づいていくこともあったのだと
思います。

 

 

たとえば、かつて子どもだった頃の
自分の内面の記憶をもっとよく考えれば
もっと早く深く氣づけないこともなかったはずと思うのだけれど、
自分が親の立場になってみると、
わからなくなることも多いのが不思議ですね。

 

あれやって!これやって!というリクエストに
応えてくれた、くれなかった、という単純な一喜一憂だけでなく、
母親の内面の微細な動きを深く感知して氣にしたりする敏感さ、繊細さをまだ幼児は持ち合わせてなどいないとでも思っていたんでしょうかね。。私は。

 

 

彼女はよく、
人の言っていることとその人の内面の感情に
ギャップがあると感じることを、
とても嫌がります。

そこの真実がズレていると感じるとき
どうにもこうにも不快なんでしょう。

 

ちょっと正確な表現ではないけど、

いわゆる、本音と建前的なこと

というとわかりやすいでしょうか。

 

彼女自身が聖人君子で
いっさい建前を言わない

とかではもちろん全然ないのだけど。

 

でも、結局、自分自身についても
そして他人についても
その部分にとても敏感なのですね。
わかってしまうから。

とりわけ、自分にとって近しい人が
そのズレが生じた言動をしていて、
でもその本人はそれに氣づいてさえいなくて
自分だけがわかってしまったときに、
とても傷つくということがあるわけです。

 

あれもこれもやらなきゃだ、
自分の思う母の役割をがんばろうとしていたんだろう

あの時の私は、まったく氣づいていなかったわけです。

 

忙しいけど疲れてるけどそれはやってあげなくちゃ

と思ってやってる、ふたりカルタ

(不機嫌とかイライラしてるとかそんなことは
なかったと思うのですよね。そんなんじゃないのです。)

の最中の母からビシバシ感じるその大きなズレに、
幼児期の娘は、ことばにならない違和感やしんどさ
を感じていたんでしょう。

 

それは、ことばにならないどころか、
なにがしんどいのか自分でもよくわからない
というような感覚なのではなかったでしょうか。

そしてそれは、自分にとって近しい大切な人、
幸せであってほしい人であるからこそ、
きっとしんどいのですね。

 

そういうことだったのではないだろうかと
本当に長い時間をかけて腑に落ちてきました。

 

 

いやいや、時間かかり過ぎだろという感じですが、
ほんとに、なかなかわかりきれなかった。

 

 

さて、だったら、
そのしんどさを負わせないためには、
私の中と外ににズレがなかったらよかった、

のだから、

1.ほんとはそんなに本当に!

やりたいわけじゃないなら
そう言ってやらなければよかった。

2.本当に本当に本心で本音で

楽しく遊べればよかった。

 

など仮定したところでそれはどれも非現実的で無理のある話。

 

 

今、それを悔んだり
ああだったら、こうだったらと思っても
事実も現実も何も変わらないですね。

 

だから、ただ、
結果的に
彼女は私に大事なことを教えてくれた

 

それだけでいいのだと思います。

 

だから、

親より子どものほうが師だわーと、

私は思うわー、
というハナシです。。。(^^♪

 

今まで娘と「カルタの話のやつ」
について語り合うことは何度もありましたが、

また今度、
しゃべってみようかなあ。

 

 

◆これまでのコラム◆

・デンマークプログラムって自分にとってなんだったんだろう

・カラダとココロの快不快感覚でしなやかに選び取る

 

writer: 京都の けんはな ☆ すぎえ じゅんこ ☆(24歳男性、21歳女性 の母)

・Facebook:https://www.facebook.com/junko.s11

・京都で逢う日 ~おもろいやっちゃ~:https://ameblo.jp/kenhana-tanoshihoue

 


photographer: 長束加奈(10歳男子、8歳男子、6歳男子の母)

・instagram: https://www.instagram.com/kananatsuka

 

 

 

 

関連記事