2019年2月14日
今日は「HSC不登校の気持ち」というのをシェアしようと思います。
HSCで不登校やっている子はなんで?と聞かれても答えられないことが多い。
次女は死んじゃいたい気持ちや、いくら聞かれても答えられない時代をへて、
今、韓国留学という夢に向かってひた走っています。
毎日ワクワクできる日々と、意気消沈の日々は紙一重。
わたしは心からそう思います。
すべてのHSCちゃんが次女と同じ気持ちだとは思いません。
でも子どもの気持ちを理解したいと願うお母様の役に、ひとりでもたてたなら
うれしいと思って、この記事をお送りします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
次女は高3で不登校です。
FBを見てくださってる方はご存知かもしれませんが、
次女は中学のときから学校があまり好きではなかったけど吹奏楽が好きで
部活を心の支えになんとかかんとかがんばっていました。
高2の夏までは部活(いわゆる強豪校で毎日練習につぐ、練習、土日も休みはありません)。
打楽器というパート人数のため、100名を超える吹奏楽部のなかで
ただ一人1年生のときからコンクールに出場することになり、
そのプレッシャーと休みの無さのためか、高2のコンクールすぎて全く学校へ行けなくなりました。
高3も欠席が続き、途中卒業がやばい単位がやばいと先生にかなり言われましたが
まともには行けず、行けても1限に間に合うことはなく、
でも年の瀬と1月はがんばり、なんとか首の皮一枚で卒業できそう!
というところに今おります(^ ^)。(韓国留学には高校卒業資格がいるのです)
彼女がずっと家にいるあいだ、
たったひとつだけ約束していたことは「毎日を最高に楽しく過ごすこと」でした。
それで高3になって韓国アイドルという趣味を見つけ、
youtube漬けになり、知らないうちにハングルを勉強しはじめ、
アプリで韓国の友達を見つけ、韓国語検定を受け、留学に夢をはせるようになりました。
そんな現在地の次女が、ひとつうえの不登校のお友達と知り合って、
不登校について語ってきました。
・・・・・・・・・
次女:今日ね、不登校やってた友達とガチ本音トークしてきたんだ。
皆川:そうなんだ。
次女:不登校って理由があって、「これだから不登校になった!」とかないよね。
不登校になるつもりなんかなかったけど気がついたら「不登校」ってカテゴリーのなかにいた、って感じなんだよって言ったらその子も「そうそうそう!!」って言うの。
二人とも、「不登校になったときは、道それちゃったな、人生終わったな」みたいな気分になったんだ。
その子はいっこ上なんだけど、大学とか行ってないの。
皆川:大学は最初から行かないって決めて行かなかったの?
次女:そう。卒業直前まで迷ってはいたけど、やりたいことしたいなって思ったら大学じゃないなって思ったんだって。
いろいろあってカナダに留学することになったんだって。その子もわたしと一緒で、カナダに行けばその先に何になる、とかじゃなくて、「ただ単にカナダに行ってみたいから行く」ってそういう感じなんだ。
終わった後の計画もないし、今のところ何になるかもわからない。それはわたしと全く同じだった。行ってみてからじゃないとわかんない。
学校の先生はカナダへ行くって聞くと「通訳になるの?」「なにになりたいの?」とか、AといえばBみたいに、そういうこと簡単に聞くんだけど、そんなの今わかんないじゃんんねえって。通訳になろうとも思ってないし、どういう仕事したいかなんて今わかんないよって。
皆川:そのとおりだよね〜。
今どんな仕事があるかもわかんないのに、将来なんてわかんないよね。
次女:そう、留学をきっかけに何かがかわったらいいな、ぐらいの感じなんだよ。
やりたいこと以外ってほんとパワーでなくてさ、目的がきまったらわ〜〜〜〜って行けるんだけど、理由がわかんないこととか、なんのためにやるんだか分からないことをやれって言われることを、淡々とやるのってできないんだよね。(これ、HSC・HSPの人に多いです)
それ、できる人もいるじゃん。うちだってK(長女)はできるよね。
不登校って言ってもさ、一生行かねえ!とかじゃなくて、数週間行けなかったけどその前後は週に1〜2回とか行けたりしてさ、って言ったらその子も「あ、わたしもそんな感じだった」って。
きっかけとか、、、、なかったよねえ、、、、って。
自分が不登校になるとは思わなかったんだよね〜って話したんだ。
・・・・・・・・・
次女:わたしさ、中学まで大きな挫折したことなかったよね。だって検定級とか(漢字検定とか英語検定とか)落ちたことなかったし、小学校は反抗的だったけど勉強はそんなにできないほうじゃなかったし、中学〜高校もそこそこで特に困ってないって感じだったじゃん。
でもさ、変なところで完璧主義だなって思うんだけど(これ、HSC・HSPの特徴です)
これでいいかなっとか、このぐらいでいいでしょとか、変なところ、妥協できないの。
コンクールのメンバーに1年で選ばれちゃったところから、「がんばらなきゃいけない病」にかかってさ、高校の最初っから朝4時起き(部活の朝練)とか、「昼練でないの、ありえないよ」みたいな先輩からのプレッシャーあってさ、部長が「昼練とかでないでコンクール乗りたいっていうんだったら、メンバーかえたい」とか言ってさ、そういうストイックな世界で「やらなきゃ病」が加熱してさ、朝練、昼練、夕方の部活、週末休みなし、とかで
「自分の体調はどうかな」とか考えるのをやめちゃったんだ。
皆川:ちょっと体調悪いなって頭をかすめても、全部ふたして何もなかったみたいにやり続けるってことね?
次女:そうそう。なんだかよくわかんないまま、がんばりぬいたんだよね。そして2年の夏がおわったときに、完全に燃え尽き症候群になったと思う。
行かない、じゃなくて「もう、行けない」って感じだった。
でも今となっては不登校になってよかったなって思う。
やりたくないことを、やらなくなったんだ。
昨日もすごく話したの。それまで勉強でもなんでも平均よりすこし高めを狙って維持して、みたいな世界にいて
「あ〜〜ここまで落ちちゃって・・・」みたいな。
勉強みたいにこれから取り返しがつく感じじゃなかった。
休みだした頃、人生、おわったなって。もうやっていけないって気持ちになったの。
でもそのおかげで、【大学行かないで留学】っていう新しい選択肢が見えた。
最近特にだけどね、何があっても動じなくなったよ。
皆川:正常な道って言われているものからはずれたら、もう何にもこわくないね(^ ^)
次女:そう。はずれちゃったから、あのときより絶望することはもうないな、って思うの。
皆川:そんなに絶望していたの?
次女:最初は「あ〜あ」って感じだった。でも死のうとか思ってたわけじゃないの。人生おわった〜って思ったけど、どっかでどうにかなるんじゃないかって思ってたんだと思う。
終わったな、って思ったけど、死のうとか積極的に終わらせようって思ったわけじゃない。
皆川:お友達はどうだったの?
次女:Rちゃんは、静かな子で言葉を選んでゆっくり話す子なのね。親と話すタイプじゃなかったんだって。
自分がなんでそうなっちゃったのかわからなかったって。
先生になんでなんで?って聞かれても、わかんない、って。
うちはなんで?とも聞かれないし、行けとも言われなかったじゃん。
でもRちゃんとこは、なんで?って親に聞かれてもわからなかったから、
お母さんが混乱しちゃって、家のなかですごい気まずくなっちゃったんだって。
それでもう、死のっかな。みたいな。
でもそれは気分の一環で(積極的な自殺とかじゃなく)消えちゃいたいって感じだと思う。
皆川:なんでなんで?って聞かれるのも辛いよね?
次女:そうなんだけどさ、なんで?って聞くのは先生だけだったからさ、それさえシャットアウトしちゃえばよかった。
途中から思い切り休んで、本読んだり、映画みたり(うちはアマゾンプライム映画をなんでも見てもいい、アマゾンの中古本は買っていい、にしていました)テレビ見て、4時くらいになったら好きな「相棒」とかテレビで再放送みてさ、、、(よく二人で散歩とかしてた)
皆川:それなりに幸せな1日だったね?(笑)
次女:うん(笑)それにね、お母さんの仕事上、不登校の子が少なくないってことを知ったじゃん。
いじめとか健康上の理由がなくても行けなくなる子がいっぱいいるって知ってたし。
それでふらっとたまに学校行ったりして、、
そうすると「わわ!皆川が学校にいる!!」とかっていじられたりして、
「どうしたの?!何があったの!?」みたのじゃなくて
「ああ、きたんだ(ぼそ)」みたいの、ありがたかった。
大学行かないって最初から表明したからそれで結構有名人になっちゃったし、先生も廊下で「何かあったら相談して」とか言ってたけど「相談することねーし。」って。(笑)
皆川:学校に行きたくないから行かないんだよね?
無理していってたらどうなってたと思う?
次女:理論的には何にもわかんないけど、無理なことはわかる、そう言う感じ。
理由は言えないけど「ああ、無理なんだな!」そう言う感じ。
アラブの人に今から嫁いでね、って言われてもムリ!そう言う感じ、
先生によく言うのはね
「先生がいくらボルトより速く走って、やればできる!って言っても無理でしょ?そう言う感じだよ」。
努力とか、そういう次元じゃないってわかるでしょ。そういう無理さ加減。もう理論とかぬきでさ、無理!そういう次元なんだよ。
皆川:ほんと不登校になって良かったね〜。(^ ^)
結局K(長女)とは違う道だったけど、2人ともおんなじよな時期に海外に留学することになって、
お母さんも、ああ、どっちでも(学校行っても行かなくても)いいんだなって思ったよ。
次女:不登校だった人でこういうこと話してる話聞いてもね、
「学校に戻れた」とか「最終的によくなれた」からそう言えるんでしょ!って思ってた。
いいゴールがあったから、不登校でよかったって言えるんでしょ!って思ってたの。
でもわたしが今言いたいのは、
「いつかそういうチャンスくるから、とりあえず今死なない」ってぐらいのスタンスで、とりあえず生命活動維持くらいでいいんじゃないかなってこと。
成人してないから、親もいると思うし、成人してからもこの国、最低限生かしてくれるから。
不安にはなるかもしれないけど、いつかチャンスは来るから。
そのときやりたいことやって。寝たければ寝ればいいし(笑)
・・・・・・・・・・・
わたしはこの言葉を聞いて、大人が上から言うんじゃなくて、
同年代の言葉としてそれが届くことに意味があるなと思いました。
出口やチャンスってものは、やっぱりご縁とか神様の領域のこともあると思うんです。
お母さんができるのは、ぴったり心を寄せて、同じ方向を向いて信じて待つ、かなと。
子どものほう向いて、どうして?どうしたいの?なにしたいの?って聞くことは
あんまり意味のないことなんだなって。
ちゃんちゃん。
HSCの才能ちゃんたち、居場所はぜったい見つかるよ❤️
今日は、次女の振り返った不登校、をお送りしました。