コラムColumn

HSCちゃんの才能と資質 うちの子育て奮闘記

「好きで楽しいことは動き出すパワーになる。」 ~家族が前に進めるようになった魔法 (起立性調節障害の娘の話)~今井理加さん

2022年3月3日

 

私は現在「くじらの会」という HSC 気質で学校が合わない、
学校に行かない選択をした子と親の居場所の会をしています。

この会を立ち上げたきっかけは、

小 6 で起立性調節障害になり不登校 3 年半の中3の娘と、

過敏性腸症候群と睡眠障害で全日制高校から通信制高校に編入した高 2 の息子、

そして私自身がタイプは違いますが、

皆 HSP・HSC で、普通の子育てとはちょっと違うデコボコ子育てだったからです。

 

 

今振り返ると、意外と面白いなと思えるようになりましたが、

当時は深い沼に落ち込んでいる状態でした。

でもこの経験が、普通の生活をしていたら絶対に関わることのなかった人に出会うことが出来たり、
知らなかったことを学ぶ機会が来たりと、

HSC の子育てはしんどいことばかりじゃないよと気づかせてくれました。

 

そして、同じ悩みを持つ方の何かヒントになれば幸いです。

 

2018 年、我が家は激動の 1 年でした。

夫が適応障害で休職し、中2の息子は過敏性腸症候群からの過眠、

小6の娘は起立性調節障害で3人同時に倒れ、コロナの前に我が家はStay Home になりました。

ここから皆が元気になっていった魔法は

「好きで楽しいと思うことをする」でした。

 

 

現在、皆それぞれ前に向かって進んでいますが、今回は娘のことを書きたいと思います。

 

 

娘は小学校での給食不適切指導、いじめが引き金となり小6で起立性調節障害を発症しました。

食べることへの恐怖心から、食事を摂ることが出来なくなり 3 か月間寝たきりでしたが、
2日に 1 回点滴を打ち何とか動けるまでに回復しました。

 

中学も最初だけ登校していましたが、中 1 の夏フラッシュバックが起こり、悪夢を毎日見る、

慢性疲労、不安、パニック等の症状が出て動けなくなり、そして赤ちゃんのように母子分離も出来なくなった為、
完全不登校になりました。

 

しかし、完全不登校にはなりましたが、

 

スクールカウンセラーの先生が好きで、2 週間に1 回ほどカウンセリングは受けていました。

 

娘は学校という場所にトラウマがあり、学校でカウンセリングを受けるのは本当に難しかったのですが、

好きな先生に会いに行くために、

気持ちの準備と制服の着替えに 2 時間程かかりましたが、必死に通いました。

 

私は先生に娘に起きている症状などを説明してどう対応したらよいかを相談していたのですが、
先生は娘に何か好きな事はあるかとか、興味のある話をして下さいました。

 

当時娘が興味のあった事は

 

 ・断捨離をして部屋をおしゃれに飾ること

 ・樹脂粘土でミニチュアフードを作ることでした。

 

そんな娘にスクールカウンセラーの先生が、

「自分の好きなことをYouTube に出してみてユーチューバーになってみたら面白いかも!」と言われました。

 

私は、「えっ、起きていることも辛い娘に YouTubeなんてできるの?でも面白いかもしれない!」
という思いで隣にいる娘の反応を見ながら不安を上回る期待を感じていました。

 

すると娘は、

「ちょっとYouTube は難しいです。インスタだったらできるかもしれないけれどそんなこと本当に私に出来るのかな。」

と戸惑いつつも、自分の好きなものや心地よいものをインスタグラムにあげ始めたのです。

 

 

今までは、

「学校で好きな食べ物を聞かれた時ね、本当は干し芋やするめが好きなのに恥ずかしいし、

馬鹿にされたら嫌だからイチゴですと言っててん。」と自分に自信がなく、

本当に好きなものや得意なことを人に言えなかった娘が、

その日から、洋服、アクセサリー、お花、樹脂粘土で作ったミニチュアフード、

自分の描いた絵など自分の作品や好きなものを堂々とアップするようになっていきました。

 

中でも一番娘がはまったのは、樹脂粘土で作る

ミニチュアフードの雑貨やアクセサリー作りでした。

 

 

 

どんなに病院に通って薬を飲んでも、体調が落ち込んで起きることも出来なかった娘が、

作った作品を担任の先生やスクールカウンセラーの先生、
お世話になった方々にプレゼントして喜んでもらえることがとても嬉しくて、
ミニチュアフード を作っている時間だけは起きていられるようになり、
材料を買いに行くために少しずつ外に出られるようになりました。

 

本は「ぐるぐる目が回るから読めない。」と言っていたのですが、

大好きなミニチュアフードの本は読めるようになって、

目に力が入り、表情も和らいでいきました。

 

 

そしてどんどん作品を作り、ミニチュアフードだけのインスタグラムのアカウントを作るまでになりました。

 

 

中 1 の冬、そんな娘の様子を見て

スクールカウンセラーの先生から提案がありました。

 

先生のお友達が岡山県で主催されている西日本豪雨災害復興チャリティーイベント

「こけしマルシェ」に娘の作品を出店してみないかというものでした。

 

私は、

「凄い!娘が作った作品を出店するなんて考えたこともなかった。きっと娘の自信に繋がるから是非出させてもらいたい。」と

心の中では思っていましたが、娘の表情を見ると困った風な顔をしていたので、

「すごいね、出店だって。」とだけ言いました。

 

 

帰ってからマルシェ出店について娘と話をすると、

 

・新幹線に乗って岡山まで行けるのか

・人ごみでパニックにならないか

・長時間その場で元気に立って、やったこともない接客ができるのか

・買ってくれる人がいるのか

 

等の不安を感じていて、興味はあるものの、

「やります。」とは即答出来ない様子でした。

 

 

その後何度も娘と話をし、不安なことではなく、

「もしマルシェに出店したら?」と出店した場合、何が待っているかを探すことにしました。

 

・お店を可愛く飾るワクワク

・可愛くラッピングをするワクワク

・主催者の方に会えるワクワク

・マルシェに出店されている他の方の可愛い雑貨が買えるワクワク

・お小遣いが入ってくるワクワク

 

見方を変えるとワクワクがたくさん出てきました。

 

 

そしてワクワクのおかげで、娘は出店することを決めました。

 

出店すると決めてから、出店に対する熱意が湧いていき、
苦手な電車に 40 分乗って神戸の大きな手芸屋さんまで材料の買い出しに行き、

どんなものが売れているのかを調べ、毎日毎日たくさんの樹脂粘土の作品を作っていきました。

 

 

出店の日が近づくにつれ娘は、

値段付け・ラッピング・店の装飾・名刺作成等

初めてで分からないことを自分で調べて作れるようになるまで回復していったのです。

 

中 2 の 6 月、岡山県のこけしマルシェに娘の小さなお店が出来ました。

店名は「SUNNY」にしました。

娘の名前と、落ち込んでいた時に勇気を貰った星野源さんの曲「SUN」をリスペクトしてつけたそうです。

 

 

娘の心配は杞憂に終わり、マルシェでは

たくさんのお客さんが娘の作品を買って下さいました。

 

何人かのお客さんに、「お仕事しながらマルシェに出店されているのですか?」と聞かれ、

「私中 2 なんです。これは私がひとりで作りました。」と答えてビックリされていました。

私は娘と顔を見合わせて、大笑いしました。

 

 

途中何度も休憩を取りながら無事最後まで販売することができました。

 

 

そこには人と話すのが苦手で、引っ込み思案で、寝込んでいた娘の姿はなく、
笑顔で自分の商品の説明をし、接客している娘の姿がありました。

 

正直私はここにたどり着くまで、

・娘がパニックにならないか
・時期尚早だったんじゃないか

 

と本当に心配でしたが、無事に終わり、

思い切ってやって良かったなという思いと、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 

それともう一つ娘にとって素敵なことがありました。

娘は、学校に行かなくなって同年代の友達がいなくなり、
「私には友達がいない。」といつも寂しそうに言っていましたが、

主催者の方が、

「友達は同年代の子ばかりじゃないよ。

私もあなたの友達だからね。ずっと年が上だけど。」と言って下さいました。

この言葉は娘にとって大きな力になったと思います。

 

 

さすがにマルシェ後、娘はとても疲れて動き出せるのに数週間かかり、
あんなに作り続けていたミニチュアフード熱も冷めてしまったものの、

この経験が外へ出ていくきっかけとなり、

 

 

中 2 の 6 月の末から市の適応指導教室に通うようになりました。

ここではギターという新たに楽しい事に出会い、たまたま適応指導教室の先生がギターを弾かれることを知り、

それ以来ギターを弾くために毎週 1 回通い、「ギター楽しいわ!」

と先生と同級生の男子と楽しく弾いています。

 

 

中 3 の春には不安やパニック等の症状、

起立性調節障害の症状もほぼなくなり、何をするにも自信がなく自分のことを主張することが出来なかった娘が、

人の意見に惑わされることなく、自分の意見を言えるようになり、次の進路に向けて自ら行動するようになっていきました。

 

現在娘は、適応指導教室の卒業式に皆で歌う曲をギターで伴奏するため練習中です。

この春からは、自分で決めた通信制高校のサポート校に週 3 回通うことになり、体力作りとおしゃれの研究に励んでいます。

 

家族が倒れた時、こんなに辛いことがあるのだろうかと絶望の淵にたたされた思いでしたが、
スクールカウンセラーの先生に、ベテラン不登校生のママ、不登校ママの横綱と命名されるほど
この 3 年半で私自身も逞しくなりました。

 

そして先生に、
「3 年半の不登校生活で良かったことは何ですか?他の不登校の子供の親御さんや世間の皆さんに不登校は不幸ではないということを伝えていきたいので教えてください。」と聞かれ、

不登校を否定的に捉えず、「学校に行かない選択をした子供」として認めて下さったことに、
今までの葛藤や辛かったこともスーッと晴れ、嬉しさがこみ上げてきました。

 

不登校生活で良かったことの答えは、

「人の少ない平日に堂々とショッピングが出来ること」

と言いたいところですが(冗談です)、本当に良かったことは、

 

 

・家族が元気になり生き生きしたこと
・私自身が前を向いて動け出せたこと
・家族がお互いを思いやり、ひとつになったこと
・自分は一人ではなくて、周りに支えられて生きているという感謝の気持ちを持つことが出来たこと
・「好きで楽しいことは動き出すパワーになる」ことが分かったこと

 

これが私の答えです。

 

不登校のママとしての経験を良かった事として捉えられるようになったことが、
子供だけではなく、私の次の道への原動力、笑顔の源になりました。

これから先まだまだ色々なことがあるかと思いますが、
急がず、時に立ち止まって深呼吸しながら、
前に進んでいけたらなと思っています。

 

 

 

writer: 今井   理加 (17 歳男子、15 歳女子の母)

・「くじらの会」代表(HSC 気質で学校が合わない学校に行かない選択をした子と親の居場所の会)

https://www.instagram.com/kujiranokai/
https://ameblo.jp/imaimai581227/

・HSP メッセンジャースペシャリスト

・日々の気付きをちょこっと書いたブログ
https://ameblo.jp/ankotaro125/

 

 

 

 

 

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