コラムColumn

HSPであるママへ

HSPという神経特性と「発達性トラウマ」は別のことです。大人である私たちが自分を優しく見返す必要があります

2023年8月16日

感性キッズ主宰の皆川公美子です。

2017年からHSP働く支援・HSC子育て支援に関わらせていただき、HSPという言葉が以前よりは広がってきた今日この頃を感じます。
けれども日本全国の教育委員会さんや企業さんでお話させていただく機会が増えるにつれ、

スタート地点にやっと立った、という感慨もあります。

▶皆川のプロフィール等

その理由は、

まだまだHSPという特性が「不都合なもの」「脆弱性」「生きづらさ」というものと

イコールと捉えられていて、

正しい認識には少し距離があるなと思うこともあるからです。

先日、南アフリカの自我状態療法の世界的権威であるハートマン博士のアドバンスクラスに参加させていただいたのですが

同じように机を並べていた小児科の先生に

「HSPってASD(自閉症スペクトラム)ってことよね」

って言われました。

「先生、違いますよ。わたしはHSPですが私と対話しておられてASDの特性感じますか?」

とお聞きしたかったのですが、ぐっと飲み込みました。

HSPは神経が平均よりも深い処理をする、という意味です。

血液型を測るように

神経の敏感性は人類のなかで相関的にどのくらいなのか、を測ることができるテクノロジーが開発されれば

話はもっと簡単なものになるでしょう。

動物のなかにもハイリー・センシティブな個体が20%含まれているということを
生物学者は指摘しているとアーロン博士が発言しています。

神経処理の敏感性というのは、
複数の遺伝子が相関しあって形づくられるものであると現段階では研究者のあいだで言われているようで

(エレイン・アーロン「敏感すぎる私の活かし方」)

その時点でかなり話はややこしいものになっています。

 

そのうえ、わたしたち人間は

遺伝子でプログラムされた人格が現在生きている人格とイコールなのかと言えば

そうではなくて、

ご存知の通り

遺伝性という持って生まれた性質気質と

後天的に家庭環境や学校環境のなかで形作られていく人間性(キャラクター)というものの

ふたつの影響力がせめぎあっているのが

「その人の現状」なわけであります。

 

たとえばHSPは「生きづらい」のところだけが切り取られて

インターネットの情報になっていることが多いです。

もちろん、生きづらさを持つHSPさんが多いということや

生きづらさがなければHSPであっても自分がHSPであることに気がつかない人が多い

という背景があるので仕方がないことなのですが

HSPの神経処理の深さは良い方にも応用されます。

例えば、

言わずに付箋をはっておいてくれた同僚の親切に気づくとか

夕日のグラデーションが人よりデリケートに見えているらしいことや

細かい差異に気づく実験ではHSPが高得点をとりますし、

物語や映画の登場人物への深い共感、

その人がアピールしているわけではない長所に気づく、

ものごとの背景情報に敏感なので予測がとても得意で会社で重宝がられる等々です。

今日は、HSPという特性そのものと

後天的なもの、というテーマで少し書かせていただこうと思います。

例えば

うつ病 は後天的な心の病

HSP は生まれ持った先天的な特徴

です。

前述のとおり

人は先天的な要素と

後天的な要素のふたつが

入り混じってその人のキャラクターが決定されています。

(その割合はほぼ50:50であるとアーロン博士は言っています)

 

要するにHSPは遺伝によってもたらされた

敏感にものごとを察知したり、脳神経が処理したりする

特性であって、

もともと赤ちゃんの頃はだいたいの人は、生きづらさはありません。

眠くなったら寝て

お腹がすいたら泣き

お尻がぬれたら不快感を表明する、

シンプルな生き物でした。

そこに

「これを言って大丈夫だろうか」という思考はありませんでした。

子どものころも、

もしかしたら

苦しい、とかつらい とは結びついていなかった時期がありました。

自分が言いたいことを言い、

大人の顔色を窺わずに

発言できていたころです。

(家庭によりますが)

 

それがいつのころからか

気づいたら

「まわりから浮いている自分」

「人の感情に気がつきすぎて苦しい自分」

「先生や大人がほんとのこと言ってない」と思っている自分

「心配性だね〜、そんなに心配しても仕方ないでしょもっと楽に生きれば?」

「考えすぎだよ」「いいから行動しよう、手を動かして」などと言われて

そのたんびにうっすら傷ついている自分を

 

なしにして

なしにして

いやそれは自分が悪かったんだ、

自分のせいだ、とつぶやき

 

自己否定感にさいなまれつつ

 

まわりに合わせて

「それ、違うんじゃない?」と本音では思いつつも

気づいていない自分をいちいち演出してきた。

 

いつのころからでしょう???

 

それはきっとご自身では覚えていないと思います。

(脳の発達段階に起因します)

セッションなどにいらっしゃるお母さまのお話

または働く大人ご本人のお話を伺っていると

HSPは保育園・幼稚園の年頃である3、4歳から

大人のホンネと建前を見破り

「先生が○○ちゃんが言ってることわかってないよ」などと言ったり

小学校の1、2年で

お友達の嫉妬の感情や

先生の大人の事情をみやぶってそれが辛くなり

身体症状がでてきて

学校にいけなくなるHSCちゃんがものすごく多いです。

または親自身が発達性のトラウマを抱えていて

(戦後の厳しい時代の価値観などでそだった親=おじいちゃん・おばあちゃん世代)

子どものことをおおらかに見守れなかったり

自分の神経系のイライラを子どもにぶつけるパターンが多く見られ

それが現在の親の子育て困難につながっていることも多いです。

(自分が得られなかった安心の神経調整を、自分の子どもの子育てですることは難しいですね=発達性トラウマの世代間連鎖といいます)

きっと覚えていないながらも

この記事を読んでくださっているみなさまも

ほんとに小さい、小さいころから

まわりと違う自分を

なんとか環境になじませよう

大人の要求するとおりにやっていこうと

努力を重ねて来られた方が多いのではないでしょうか。

 

 

そういう

幼いころからの

つまづき

や 悲しさから

自分を守るために

自分の持てる可能なエネルギーのなかでサバイブするために

「トラウマ」というものがあります。

 

トラウマとは冷凍保存された「未完了の感情」です。

 

 

大きな天災に見舞われたとか

事件事故に遭ってしまったとか

そういう大事件でなくても

人は、自分が傷ついていくときに

(たとえば「先生、今ほんとはそう思ってないよね?」などと言ってしまって周りの冷たい視線をあびたとか、先生がそれ以来いじわるするようになったとか)

その悲しさや衝撃をもろに感じてしまったとき、

これは!!心が大きなダメージを受けてしまう!!と身体が判断すると

それには向き合わないで

心の奥深くにその辛い体験を冷凍保存して

それを解凍してもいいよと身体がオーケーをださないかぎり深く封じ込め、

日常的には

そういう同じ「事件」が起こるようなことを

避けようとする機能があります。

 

 

『発達性のトラウマ』は

単発のショックトラウマ(事件事故天災など)とはちがって

発達期におこるじわじわトラウマです。

生きていくなかで

HSPさんのほとんど全員が経験することです。

これまでにのべ6,500名ほどののHSPさんのお話を伺ってきましたが

発達性のトラウマ?なんのこと?と

この状況と無縁できた方はたった3人でした。

(そこは家庭環境やご両親の態度が、いわゆる『普通』『標準』を求めていない、アーティスト家系だったりしました)

つまり、

HSPさんは
土台として神経系特徴
『HSP』という特性があって

そのうえに

 

生きていくあいだに重なってきた

発達性のトラウマ と

親との関係性によって世界や他者を安心なものと捉えられない

愛着不安がのっかって

「自分を直さなくちゃ、もっと強くならなくちゃ」

「なんとなく安心できない」

「いつもネガティブなことから考えてしまう」

「人に合わせすぎて自分がなくなって苦しい」

などの自己否定感がでてきます。

 

 

つまり逆に言えば

敏感性そのものは

生きづらさとは

本来別物であって

 

敏感さだけ見てみると

すばらしい才能です。

 

人が気づかないことに気づく、

それはすばらしい

イノベーター

発明家

科学者

先生

カウンセラー

などの条件である、ということです。

HSPの強みそのものを、社会で活かしていくために

発達性トラウマと向き合っていくことは

親として、大人として

世代間連鎖をひっくり返す

とても重要な作業です。
(それは勇気のいることかもしれませんが、自分のありのままを認識して、これまでサバイバルして生き抜いてきた自分を、たくさん褒めて認める作業です♡)

 

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