コラムColumn

HSCの母のつぶやき

納得するまで口は開けない。ボクはイヤだ。

2020年8月31日

こうやって定期的にコラムに参加させていただく
おかげで、
いろいろなことを思います。

 

 

家族や、そして自分自身について、
思い出したり、そして、今とこれからを感じたり。

 

 

前回のコラムを書き終えて、

子ども時代からの思い込みで、
弱い、という自己認識をずっと持ちがちだったこと、

 

と同時に、

決してか弱いばかりではなかった自分を、
また思い出すのでした。

 

ていうか、
か弱いどころか、我が強くて、ある意味、
周りの大人は大変だったと思う。

 

納得しないと頑として譲らない

 

みたいなところが実は多かったです。

 

 

小さくて痩せっぽちで

体調を崩すことが多かった私は、

 

 

小学校1年生のはじめの頃に、

入院、手術を経験することになります。

 

 

えーー?入院?手術!?
とは言っても、病気じゃなくて、
積極的予防??!!なのかな、

 

扁桃切除、というのをしたのです。

 

 

扁桃というのは、喉の奥にある、
風邪ひいて扁桃腺が腫れる~とかいう、
アレです。

 

 

この扁桃切除についての医学的な有用性
というか是非みたいなものは、
実は様々あると思われ、

 

 

もちろん、大人になって、自分自身、
いろいろ考えるところもあるのですが、

 

 

今回はそこに触れるとまた長くなるので、
別の機会にします。。。

 

いずれにせよ、当時のその時点で、
親やかかりつけ医のおひとりだった、

いつもお世話になっていた先生は、
それがベストという判断で為されたこと
だったことに違いはないですね。

 

 

ともあれ、手術!入院!ってもちろん大きなこと
で、その時のすったもんだや逸話(笑)で面白い

のがあるんです。

 

 

記憶もそれなりに残っています。

 

 

医療の進歩や考え方の変遷に伴い、
今はその手術って当然のように、全身麻酔で

行われるものだと、大人になって知りました。
(それはそれで全身麻酔ってこわい
氣もしますけれど。)

 

 

えーと、うん十年前なのでね、
その頃は、、、局所麻酔でした。

 

 

意識バッチリ、
喉の内側だけを自力で(うがいみたいな感じ。笑)

麻酔して、口から器具を差し入れられて、
という手術で切るのでした。

 

 

診療椅子に座った状態で、目隠しして、

手足を固定して。。。

 

 

いや、これ、今考えると、

かなりトラウマになりやすいかも、な状況で、

決してオススメできませんがね。( ^^)

 

 

といいますか、だから今はそういうの

(そういう方法)やっていないんだと
思われ。(勝手な推測です。)

 

 

医療の常識ってほんと変わっていくものです、
はい。

 

 

私自身はもちろん怖かったと思うし、
いい思い出というわけではありませんが、

 

 

何度も振り返っているおかげなのか、
子ども時代の自分やその状況を興味深く、

面白がって見ているせいなのか、

 

 

思い出したくもないおそろしいトラウマ

という感じでは、おかげさまでないのです、

不思議ですね。

(もしかしたらこれから書く様子が
そうさせているのだったりして。。笑)

 

 

さて、それで、面白い逸話というのは、
手術中の話です。

 

 

上記のような手術方法ですので、

ある一定の分別がついた年齢にならないと、

可能じゃないのですよね。

 

 

意識があるので、口を開けてと言われた時に

自分で開けておけなくちゃいけない。

 

 

執刀の先生が馴染みの方だったというのも

あったのかもですが、私は、それこそまあ、

かなりエラそうに、

 

 

いちいち、
「次は何するの?」

の質問に応えてくれないと口を開けないぞ

という暴挙に出たのですわ。

 

 

後に、「前代未聞でした。」と言われたとか。

 

 

いや、当時の自分としては必死でしょうし、

当然の行動だったろうなとは思うんです。

 

 

信用してないわけじゃないんだけど、、、
いや、やはりある意味、
そんなに簡単に信用しいひんでというか、

見えないしねー、怖いし、

納得しないとイヤだったんですね。

 

 

「次は何するの?」

 

「次はな、血を拭くんや。」

 

「うん、わかった。あー。」

 

みたいな。(笑)

 

 

いやあ、、今思えば、ヤバイ子ですよね。

先生もよく対応してくださったと思います。

さすがです。

 

 

(決して愛想がよいとは言えず、
患者さんたちにはある意味とても厳しく、
診療中いっつも大人も子どもも叱られていて。

 

でも、ただ怖いんじゃなくて
本当のことをおっしゃるし、

皆さんに愛され信頼されるステキな方でした。

 

そして幼児の頃からお世話になっていた私は、

なんでだかあんまり叱られなかったというか、

笑われていた?微笑まれていたような。。

かわいがってもらっていました。)

 

 

また、手術中、直接は見えないけれど
声の聴こえるところに待機していたらしい母は、
本当に大変だったと思います。

頭が下がります。

 

 

その、前代未聞トーキング手術!のせいだった
のかはよくわからないけれど、

術後しばらくして再出血し、吐血し、

またすったもんだ、、、などいろいろ話題に

事欠かないのでしたが。

 

 

(もうこれは笑い話で、面白おかしく喋って
しまいます。もちろん冗談になどしてはいけない

命に近い話題ですけれどね。

小1の私なりに入院中の大きな発見や学びも

ありました。)

 

 

 

私にはそういう、なにか頑固偏屈なエピソード
がけっこうあります。

 

 

絶対イヤ。

「ボクはイヤだ!!!」

 

みたいな。

 

(あのアイドルグループ欅坂46の「不協和音」

実は、かなり惹かれるものがありました。)

 

 

 

そうなるともう、、、

 

は? どこが、誰が、弱いねん!?

みたいな感じ?

 

 

まあそれは、甚だ未熟で身勝手で、

そして受け止めてもらえる場や状況、人たち

あってこそだったと本当に感謝しています。

 

 

そして大人になって、近頃、

自分の中の「ボクはイヤだ」的エネルギー

について、それを改めて大切にしたい、

という思いにも駆られています。

 

 

それを、どれも単に子どもじみたわがままとして、

大人的改善策かのように、

蓋をする方向で抑えるのではなくて。

 

 

納得するまで時間をかけても。

 

 

結論、

イヤなものはイヤ、

ダメなものはダメ、

おかしいことはおかしい、

であっても。

 

 

*****

 

 

今もそういう子、もちろんいるだろうな、と

思うのです。

 

 

扱いにくいとか氣難しいとか言われがちかも

で、そしてつき合うのは見守るのは、本当に

骨が折れることもあると思うのですが、

 

 

じっくりっと話を聴いたり、

君おもしろいね、と言って共に笑い合ってくれる

人がいてくれると嬉しいなと思いますし、

私もそういう大人でありたいと思っています。

 

 

絶対的な正解、正しさなど、

もとよりあるはずもないこの時代。

 

 

ただ流されるのでなく、

無骨にスローにいちいち納得しないと進めなくても。

 

 

イヤだ!
というエネルギーをみなぎらせることができる子は
イイね♡
というエネルギーも豊かに蓄えていけるのかも
しれないぞー
と思いながら。

 

 

 

◆これまでのコラム

・デンマークプログラムって自分にとってなんだったんだろう
カラダとココロの快不快感覚でしなやかに選び取る
「それは、娘さんがあなたに教えてくれてるんですね。」
HSP/HSCな自分について腑に落ちるのにはなぜ時間がかかったんだろう。そして感受性について。

 

writer: 京都の けんはな ☆ すぎえ じゅんこ ☆(24歳男性、21歳女性 の母)

・Facebook:https://www.facebook.com/junko.s11

・京都で逢う日 ~おもろいやっちゃ~:https://ameblo.jp/kenhana-tanoshihoue

 


photographer: 長束加奈(10歳男子、8歳男子、6歳男子の母)

・instagram: https://www.instagram.com/kananatsuka

 

 

 

 

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