コラムColumn

HSCちゃんの才能と資質

あれは幼き私のトラウマ回避でもあった!?〜 インフォームドコンセント的、誠実、丁寧なコミュニケ―ションと信頼

2020年10月31日

先日、「HSPメッセンジャー養成講座 for スペシャリスト」の受講を終えました。

昨年末、「HSPメッセンジャー養成講座 ベーシック」を受けての次のステップでした。

おもに神経系のメカニズムなどの、持って生まれたカラダの質としての敏感性について学んだベーシック講座。

更なる学びとしてHSPを考える時の二階建て構造とはなんなのか。

for スペシャリスト講座のほうは、敏感な質のベースを持った上での、環境や育ちの中でのトラウマや愛着不安がもたらす影響の部分を深く掘り下げる内容です。

 

 

この講座は今回初めて開催されたのでしたが、

初回開催には、トラウマや愛着障害についての専門家の先生方へのweb質問会の機会もあり、

とっても充実していましたよ。

 

 

その中で臨床心理士・公認心理師の淵野俊二先生のお話を伺いながら、

また改めて自分が救われるような氣づきがあったのでシェアしたいと思います。

 

 

前々回コラム

「納得するまで口は開けない。ボクはイヤだ」 https://kanseikids.com/column/200831
で、自分の幼少(小1)期の手術(+入院)体験を書いていました。

 

 

感じやすく、体調を崩しやすく、かつ、なんといいますか頑固偏屈で(!?)、

それでいて大人たちの姿や言ってることや心の動きをじっと見ていたような自分を思い出し、(まあかなりHSC要素が濃かったと言えると思いますね。)

懐かしんで、振り返っていたのでした。

 

 

今回の講座の学びはまたとても膨大で、質問会では皆さんから本当にたくさんの質問がなされていたのですが、

「幼児期の入院の影響などは?」というご質問も出ていました。

 

先生のご回答の冒頭より。

(私なりの理解での要約的な記述になっています。)

「大前提として、日本の病院では治療にあまり保護者を同席させない傾向があり、お子さんが不安になりやすいかもしれないので、

同席してなだめが必要な場合も多いのではないかとも思われます。

治療時の身体拘束、押さえつけ等もできるだけ避けてほしい…」

我が子を病院へ連れて行っていた機会よりも、

自分自身が子どもの頃病院通いしていたことのほうが断然多いと自認している私。

ふむふむと、遠い昔を想起しつつ頷きながらメモをとっていたのですが、

 

 

「今から何が起きるのか、お子さんご本人にきちんと説明することが大事です。」

 

という先生のことばが、超ストライク過ぎて、衝撃で、

思わず手を止めましたっ。

 

そう! そうなんです!!!

 

ちゃんと説明してほしいですね。

 

心配して良かれと思ってかもしれないけれど、子どもを見くびってはいけない、

可能な限り誠実に丁寧に説明されるといいなあと私も感じました。

 

 

インフォームドコンセントは、大人なら義務化されてるのに、

もしかすると子どもに対しては曖昧なのかもしれないなあなんて思います。

 

どうせわからないだろうとか思わずに、そこでひとりの人間同士として向き合って、

大人が子どもにもわかるように説明をしようとする努力をするかしないかでは、

その後の影響はとても変わってくるのではないかと感じます。

 

もちろん、年齢やその子の質や状態によって、理解力のようなものは様々だと思いますし、その中でなるべく事実、情報ベースで、前もって伝えることが必要なのは言うまでもありませんね。

 

そして敢えて突っ込んで言いますが、伝える物事の内容というより、伝え手の内面こそがその過程で自ずと伝わってしまうということもあります。

 

自分がまっとうに丁寧に扱われているかどうかという機微を感じ取る感覚は、

子どもは、特にHSCちゃんはきっと、とても鋭いものがあるということです。

 

私もそういう意味では、子どもの頃病院に行ったときなど、

いつもそれらをビンビンと感じていたのだったのだろうなと思い返します。

 

洞察系というかちょっと中の年齢は大人びたような面もあったためか、
小児科で注射される時など、小さくても暴れることもせず静かにグッと我慢して打たれている子でした。

 

正直、泣き叫んで暴れているほとんどの子たちを、かなり覚めた目で見ていました。(笑)

 

もー、どうせ打たれなきゃいけないのに、そこ抵抗したってどうにもならないのに、

(静かな諦め? というかその頃は本当に、楽になるのがその処置でしかなかった、それしか知らなかったのです。)

なんでああいう危ないことをするんやろうなどといつも不思議でした。(なんかかわいくないけどー。)

お尻に針刺されてる最中に暴れて、中で針が折れたりしたらどうすんねん!?アホなの?

て本氣で思っていました。

でも、無邪氣でなんだかちょっぴり羨ましくもあるなという感じもありました。

(複雑ですね。かわいくないけど、振り返るとけっこう愛おしいな。笑)

 

 

診察後、じゃ、また、お尻に注射ね(その当時はけっこうお尻への筋肉注射多かったんですよ)

って決まってベッドに移るとき、

自動的に体押さえ係の看護師さんがサッと来るのですが、
ウチの母が「あ、いや、この子は大丈夫ですので。」(押さえなくても動きませんので。)とお断りするというのが常でした。

 

そのうち、常連になると、知ってる人とはツーカーになってそれもなくなるといった具合でした。

体を押さえなくてもいいというよりは、押さえられるのがとてもイヤで断っていて、
それは、なぜイヤだったかというと、やはり、屈辱的だったからだなあと、

その頃は言語化できてはいなかったけれど、そう思い出すのです。

 

そんなことしなくても、わかってるさ、承知はしています、バカにしないでほしい、って感じ。

 

点滴も常連なので、いつも患者っ子でいっぱいだったその小児科病院の看護師さん達の中で、

どの人がベテランで針を刺すのが上手いかをよく知っていて、

この人はイヤ、あの人がいい、とか、どんな指名制!?みたいな失礼かつ的確な発言をして、

母親を慌てさせるなどということもあったようです、笑います。

 

 

 

で、前々回書いたコラムの、入院を伴う手術の時の話です。

 

あの時、私は、手術の必要性や内容についてどれだけ説明を受けていたかはあまり覚えていないけれど、

あの、部分麻酔、身体拘束&目隠しの手術の中で、

高らかに「次に何をするか言うてくれないと口を開けない」宣言をして、

先生の手を大いに焼いたわけです。

 

 

とほほな子だったとずっと思いつつ笑い話にしてきたけど、

あれってやはりまっとうな主張だったというか、

私、ある意味、よくやったなあなんて、今さらながら、今回の質問会でのお話を

聞きながらとても感じ入るのでした。

 

 

大人でも同じですよね。今から自分に何が起きるのかわからない中で目隠しなんて
どう考えてもトラウマ行きですよねー。

私が深刻なトラウマにも見舞われず大丈夫だった(と思うんですけど、はい。)のは、

納得してないのに我慢してただ言われたとおりにするんじゃなくて、

無理やりでも自分なりの力技を行使して、断固として

「次は何するの!?」と聞き続けたからなんじゃねー?

って、少々自分勝手ながら自分を褒めたい感じなのです。

 

 

まあ、極端な事例ではあります。

そして、それにつき合ってくれた当時の先生や周りの大人の方々が居てくださったことが

なによりありがたいことなのですけれどね。

 

 

それはいろいろな事情も子供なりに承知していて、その状況下で、全体を通して、可能な限りの誠実さや丁寧さをもって扱ってもらえたんだということを、幼き私自身は受け取ったのだったであろうと思っています。

 

 

また、術後ひとりにせず、信頼できる大人がそばに居て体験を聴く、ということも大切だとのことでしたので、

はい、そのことももちろん母がしてくれていたのだと思い、

感謝の思いです。

 

 

また、もっと日常的なことでも、関連する話題もありました。

 

たとえば、養育者からなかなか離れられないで後追いが目立つ小さい子への接し方、や、

学校に行きにくい子に付き添っていく場合などにも

 

 

大人の都合で黙って急に居なくなることはしないでください

 

というお話がありました。

 

 

これも同じように、不安がるお子さんの場合特に

「事前に説明する」ことが大事なのだと。

 

 

たとえばちょっとした時間でも、お子さんがどんなにまだ小さくっても、

「今からこれこれこういう用事でちょっと居なくなるけど、これくらいで帰ってくるね。」

とか、

 

学校に同行して行けた折に

「今日はこういう予定で、帰ってくるまではどこそこで待ってることにするね。」

とか。

 

 

その経験の積み重ねが、徐々にでも、何がこれから起きるのか、自分で予測を立てることができるようになっていくスモールステップとなり得る、

また、安心を育ててチャレンジを助ける、

ということに、とても感じ入りました。

 

 

やはり、信頼関係なのだよなと。
他人との信頼関係も自分自身への信頼も何度も繰り返す経験の中で築いていけるといいですよね。

 

 

私自身は、これもかなり昔の話で、自分が親として我が子が小さい頃にどこまでそれを実践でき得ていたかは自信がないのですが、

今、お子さまとの暮らしに奮闘している方々には

どうぞがんばりすぎず、ひとつの大切な情報になればいいなあと思います。

 

 

 

もちろん人にトラウマがあることはなんら特別なことでも珍しいことでもなく

それは、自分が自分自身を守るべく生き延びることができた証なのだろうと思います。

 

 

そして、ゆっくりとトラウマとともに歩んでゆくことも、

また困難や苦痛がある場合には、何歳からでも

それを和らげたり解消したりに取り組むべく心身を手入れしていくことも可能なのだということも学びました。

◆これまでのコラム
・デンマークプログラムって自分にとってなんだったんだろう
カラダとココロの快不快感覚でしなやかに選び取る
「それは、娘さんがあなたに教えてくれてるんですね。」
HSP/HSCな自分について腑に落ちるのにはなぜ時間がかかったんだろう。そして感受性について。
納得するまで口は開けない。ボクはイヤだ。

デンマークのアティナさんのことばを思い出しています

writer: 京都の けんはな ☆ すぎえ じゅんこ ☆(24歳男性、21歳女性 の母)

・Facebook:https://www.facebook.com/junko.s11

・京都で逢う日 ~おもろいやっちゃ~:https://ameblo.jp/kenhana-tanoshihoue

 


photographer: 長束加奈(10歳男子、8歳男子、6歳男子の母)

・日本パステルホープアート協会公認パステル和アートインストラクター

・HP: https://7iro-artwork.amebaownd.com

・instagram: https://www.instagram.com/kananatsuka

 

 

 

 

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