コラムColumn

うちの子育て奮闘記

小3〜小6我が家のトライ&トライ 嫌といえるようになった我が子

2020年12月7日

次男は完全不登校ではなく、小3、4年時は年間に60日~100日登校していました。
5年時には週1で放課後登校し、担任教員に個別対応をしていただきました。
6年生の今年度は体調次第で週に3回のペースで登校する自由登校となっています。

このコラムを読んで下さっている皆様の参考になるかな?と思い
今のペースになるまでに具体的にしたことや様子などを書いてみました。

3年間分のため長いです。

 

【~小3、不登校になりHSCであることに気づくまで】

保育園~小1 行き渋りなどなく、毎日元気に登園登校。

小2 放課後の学童保育をやめる。10月運動会後に風邪を引いて休んだことがきっかけで「行きたくない」という日が週に1日程度。
行き渋りが始まる。

 

小3 新学年になり頑張っていたが5月の連休後、本格的に不登校になる。
朝起きられず、気分不良がひどく食欲不振があったため行きつけの大学病院小児科を受診。

起立性調節障害*¹ の診断がつく。

 

小3の夏・秋は身体は辛いけれど「学校に行かなくては」という本人の気持ちが強く、それが出来ずによく泣いていました。

 

周囲の思いや働きかけも様々で、

担任教員 =「学校は来るべきところ。来れそうな時は、なるべく連れてきて欲しい」

父親(夫)=「学校は行くもの。行かないと将来どうなるのか。頑張って欲しい」

私    =「身体が優先。またイヤな事は無理にしない方がよい」

と、言わば迷走状態でした。

 

大人たちの思いを汲み取ったのか、「今日は学校行けそうな気がする」「今日は行く」と言う日が多くあり、その言葉に私も期待しているところもありました。行きたいのならなるべくそれを手伝いたいし、自分も仕事があったので遅刻してでも登校してくれたら助かるわけです。しかし、遅めに起床し食事が取れて、今日は体調も良さそうだなと思って支度をして車で送って行ってもどうしても車から降りられず、そのまま帰ってため息をついた日が多々ありました。担任の先生が車まで迎えに来てくれても車内で身体を丸めて拒否している背中を見ると、やはり起立性調節障害という身体の問題だけではないものを感じました。

 

 

こんなことをして何になるんだろう…とは思っていたのですが本人の「行く」という言葉を鵜呑みにしたのと、繁忙期の仕事の調整のつかなさからズルズルとそんな状態を続けてしまいました。私自身が感じていた「これって意味ないよね。むしろ悪影響じゃない?」という違和感や、本人の行動や身体が発しているサインで早く決断した方がよかったなと後悔しています。

小3の冬休みに「発言ではなくて、本人の状態を見た方がよい。一般的な学校生活は難しい」と夫と合意し覚悟を決めるまで3カ月ほどかかってしまいました。

 

どんな環境で過ごしているのか確かめたかったので、3カ月の間に何度か教室内まで一緒についていき、授業参観をさせていただきました。その中で私が感じたのは、「学校には、私や次男が安全地帯と感じられる要素が少ないかも」ということ。

35人学級の賑やかな教室、様々な対応に追われる忙しい先生方の様子、誰かの怒る声、自由に考えを述べていいと言われながら実は正解を求められていること、困っているのに誰にも気づいてもらえない生徒、早く静かに食べなければならない給食など、一般的と言われれば普通だと思うようなことですが私自身には大分乱暴に感じたのです。

 

3歳上の長男の時にも授業参観に行くとドッと疲れてしまうので、ママ友と話したりせずなるべく短時間の滞在で済ませていた私は、それらの一般的な学校生活に違和感を感じながらも「学校ってそういうもの」と抑圧していたのですが、次男を通じて「これはやはり次男や私には無理なんだよね」とハッキリ自覚することが出来たのでした。

 

私が感じていた違和感は上記のことでしたが、次男本人は何がイヤだと感じているんだろう?というのは当然気になりました。

しかし問いかけると黙ってしまうし、年齢的にも言語化が難しかった。

ちょっと角度を変えて「イヤだって言いたくないんだね…」と共感的に言ってみると

「他の人の事も考えず自分一人の気持ちを通してしまうのは恥ずかしいことだよ」

とこらえきれず泣きながらの返事。これには驚愕しました。

私は臨床心理士でカウンセラーなので、常日頃から自分の気持ちを大切にと言い続けていたのにも関わらずこの体たらく。

同質であることを暗黙に求められたり、ワガママはいけない、皆我慢しているという周囲の言葉や雰囲気から自分の気持ちを感じる前に蓋をしてしまうことを学んでしまったのでしょうか。次男は「これが好き!」はハッキリ言う子だったのですが、「これ嫌い。苦手」はあまり言わない子でした。

 

また

 

「先生が生徒に ”これでいい?” と同意をとったり ”こういう風にして” と指示すると、すぐに ”ヤダ” という人がいて、それで先生が困ったり怒ったりする。そういうのがイヤなんだよ」とも。

 

不快を表すのは恥ずかしいこと。迷惑をかけるのでよくないこと。

拒否することで誰かが困ったり怒ったり悲しんだりするのは辛い。

 

いやはやこれは私自身も同様なのです。次男は私の鏡だったのです。

この言葉で次男はHSCだな、と確信しました。HSP/HSCの特徴であるDOES*²のうちのD(深く処理する)とE(共感性)とS(よく気がつく)です。私自身もHSPで、そのころちょうどHSPについて勉強しはじめていたので、すぐにピンときました。

 

担任の先生からは、発達障害ではないか?とも言われましたが、知識があったおかげで自信を持って「確かに発達障害と似ているところはあるけれども、そうではないと思います」と答えることが出来ました。

 

【小3~小4 身体と心の両面からケアする】

 

起立性調節障害は自律神経の調節不全の病気で、身体が大きく変化する思春期に好発し、朝起きられないことから不登校の原因にもなっています。身体の病気ですが、ストレスなど心理的な要因も大きく絡んできます。次男はHSCの特性上、他の多くの子供達にはそうでもないような事もストレスだったのだなと思いました。心身両面のケアが必要と思い、食事内容や生活リズムに気を付けるのはもちろんの事、整体やサプリなども取り入れました。

 

心理的な面については、まずイヤだなと感じられて、言えるようにしよう、と小3の3学期~小4終わりまでは丁寧に、観察し対話しつつ行きつ戻りつを繰り返してイヤなものを洗い出し、徹底的に排除することにしました。最初は漠然と「とにかく全部イヤ」だったのが、少しずつ具体的に言えるようになってきました。

 

➀遅刻や早退はイヤ。みんなの視線が集まるから

 →朝起床できて行ける日以外はそれ以上引っ張らずに行かない、と決める。やはり後で「行けばよかった…」と後悔することも多くあり、気分の切り替えは今だ課題

 

②先生から電話が来たり、家庭訪問をされるのは(安全感が脅かされるので)イヤ

 →母の週間予定を学校に知らせておき、用事がある時は在宅時間に電話してもらう。

  休みが続く場合は、学校も安否確認をしないといけないため1~2週間に一回程度は電話で様子の情報共有をする

 

③お友達に「何で学校こないの?」と言われるのがイヤ

 →起立性調節障害という、身体の病気で朝起きられないし体力が続かないことを担任から説明してもらう。家に遊びに来てくれるお友達には、母から説明する

 

④登校時に保健室や別室はイヤ。しかしクラスに行くと「次男君!来れたのよかったね!」など先生やお友達にワーワー言われたり集まってこられるのがイヤ。でも何も言われないのも寂しい

 →登校した時には、なるべくさりげなくして下さるよう。集まってきてしまうのは、

  親しいお友達に守ってもらうようお願い(スターか?と笑ってしまいますが本人真剣)。

注目がワーッと集まるのと声のボリュームに圧倒されて(DOESのO)話の内容が頭に入ってこないので、先生から何か伝える時には個別にして対話の音量にして欲しいとお願い

 

⑤平日に学校に行ってない時があるのを誰かに知られるのはイヤ

 →適応指導教室なども見学したが、行かないことに。フリースクールは近くにない。平日にはお出かけせず家で過ごすことに決める。家では動画やゲームなど、したい事と楽しめる事をする

 

 

例によってこれらはHSPな私のトレーニングにもなりました。学校側から登校を促すアプローチや適応指導教室を進められたり、電話連絡があると、せっかく言ってくれてるのだから断るのは悪いなとか、先生方も忙しいだろうから状態を伝えたり○○して欲しいと細かいことをお願いしても迷惑なのでは?と思っており、電話一本かけるのも抵抗がありました。

 

しかし、伝えないことには始まらないので電話やアプローチはお断りし、境界線を引き家が安全基地としてちゃんと機能するようにし、家での様子を手短に伝え、お願いごとを具体的にして検討してもらう、などを続けていきました。

 

⑥習い事はしたいけど、学校を休んだ日に習い事だけ行くのはイヤ

 →土日や長期休みの時に単発的にできるものにする

 

⑦一人でのお留守番は一日5~6時間ならできる。連日だと辛い

 →母の勤務日時を調整する。週4日→週3日で1日6時間

 

➇お留守番時にお昼を食べるのは一人でもよいが、あまり食べる気にならない

 →母が仕事に行っている時は、職場からLINEでビデオ通話をしながら離れたところで一緒に食べる

 

⑨一人でお留守番は何となく不安
 →自宅・家族以外での理解者と安全基地の確保。お向かいで普段から親しくしているおじいちゃんおばあちゃんに事情を話しておくので、例えばトイレが詰まるとかちょっとしたトラブルがあった時には、まずお向かいに行く

 

⑩休んだ日に、帰宅した父親から「宿題や勉強したの?」と言われるのがイヤ

 →いい機会なので、身近な人に「それヤダからやめて」と言う練習にする

 

⑪こんなに気になる自分がイヤ。何で他の人は気にならないの?

 →細かいことに気づいたり、人の気持ちが分かって思いやれるのはHSCの能力。

  他の人と違う感じ方をしてるだけで変・おかしいとかではない。その代わり、他の人は別の感じ方をしていることも認めよう

 

このような事を続けて、「よし明日はゲームでこんなことしよう」など前向きな気持ちが出てきて学校に行く・行かないは気にならない日も出てきましたが、本人はやはり「このまま自分はどうなるんだろう」と不安になったり、「今日も学校行けなかった」「遅刻しても行けばよかった」というネガティブな気持ちになることももちろんありました。

私自身もそんな気持ちに引きずられることも多々あり、この感性キッズや不登校新聞*³を読んだり、前回のコラムに書いたように色々なサポートを得ました。

 

「学校行かなくても全然平気だよ。今は色んなタイプの学べるところがあるし。身体が整ってエネルギーが溜まってきたら、自然にやりたいことや興味も出てくるよ」と言い続けていました。

 

【5年生 放課後登校と個別対応】

 

5年生に進級し、また担任が変わりました。

始業式は出ませんでしたが、式が終わった後にクラス分けを一緒に見に行き、担任教員に挨拶して簡単に事情をお話しました。「無理せず来れる時に来てください」と最初におっしゃって下さりホッとしました。お便りや次週の予定などは、金曜日にまとめてお友達が運んでくれることになりました。

新学期のバタバタが一通り終わった5月頃にスクールカウンセラー(SC)と私との面談の中で本年度どうするか、という話をしました。

 

3・4年時と同様に保健室などへの別室登校と、今回は放課後登校での個別対応が追加提案されました。文科省からの通知*⁴が出されていたことが追い風となっていたと思います。

 

これまでの様子から、別室登校は本人が希望しないので放課後登校を試してみたい、とSCを通じて担任と管理職の先生に伝えていだたきました。

先生が対応可能な日と私がその時間帯に送迎できる日が合わず、週に1回程度でしたが、これは次男にとても合っていたと思います。

 

個別に時間を取っていただくのは先生に悪いな…とチラリと、いや大きく思ったり、私の時間のやりくりも大変でした。しかし、一対一で子供のペースを尊重しながら関わってくださる様子を間近で見るのはある意味贅沢な時間でした。また最初は目を伏せがちで声も小さかった次男が「結構楽しかった」「今度先生とキャッチボールしたいからグローブ持っていこう」など声のトーンも目線も上がっていき、目が生き生きしてくるのを感じられるのはとても嬉しく、苦労が報われるようで私も頑張れたのだなと思います。

 

登校時には都度次男本人に「何をやりたい?」と聞いて下さり、本人は理科の実験や家庭科のランチョンマット作り、図工の紐細工、校外学習のダンスの練習など、家庭学習ではできない体験授業を希望していました。

 

5年生の登校回数は16回程度でしたが、十分に尊重され、また先生と一対一のコミュニケーショがとれたことで安心しエネルギーを蓄えられたのか、勉強も少しやっておこうかと冬休みから塾に通い始めたり「6年生になったらこうしようかな」など少し先のことまで考えられるようになりました。

 

地味ながら影響が大きかったなと思うのは、お便りや電話連絡等、事務的なものの過不足がなかったことです。学校の予定等が把握できたお陰で「今皆は何をやっているんだろう」という次男の不安も解消されましたし、ちゃんと気にとめてくれているんだなと私も安心できました。

 

起立性調節障害の方も、タンパク質強化の食事+成長により体力がついてきたこともあり改善に向かっていました。お薬は昇圧剤が処方されていましたが半年程度でやめて、朝8時までには起床でき(低気圧がくるとどうしても無理なのですが)、顔色もよくなってきました。疲れやすさはまだありましたが、スポーツが好きなので、土日に父親とキャッチボールやボルダリングなど軽く身体を動かすことは続けていました。

 

【小6 コロナ禍 緊急事態宣言での転機。学校に行かないのをやめる】

さて今年、2020年の春。6年生になり、担任は5年時と同じ先生、クラスのメンバーも一緒です。
緊急事態宣言中、塾のオンライン授業を受けていた次男は「オンラインよりやっぱリアルな授業がいいな。これで学校が始まって行き始めたら、俺もしかしてずっと行けるかも」

と言い始め、そうかもねー、と私は答えていました。通信制の学校を調べ始めたり、大学に行きたくなったら高卒認定があるなどと情報を得ていたので、本当に小学校に登校するしないはどちらでもよかったのです。ただただ、毎日「つまらない。やることがない」と不機嫌なのが嫌でした。

 

外にも行けないしお友達とも遊べない。こんなストレスが、一歩踏み出すきっかけになったのかもしれません。

なんと5月後半の分散登校から皆と一緒に行き始め、一学期はほどんと休まずに登校しました。先生も私も驚きました(先生からはこっそり電話がかかってきました)が、「行けてよかったね!」などと登校したことを喜ぶのではなく、「自分で決められて実行できてよかったね。頑張ってるね」「疲れたら休もうね」との声掛けにし、学校に配慮していただきたいところは、連絡帳や電話で伝えています。

 

後で聞いてみると「俺、学校に行かないのをやめたんだ」とのこと。何しろ「イヤだ」を大事にしてあれこれ試し、自分にフィットしないものはやめる。まず試してみてそれから選ぶ、または変えてもらうように周囲にお願いするのをずっとやっていた3年間なのです。家にこもりっきりなのと暇なのがよほど嫌だったんですね(笑)

 

【2020秋 現在の様子】

 

先月10月は運動会でした。コロナ禍のためかなり縮小し、各学年2競技10分くらいでしょうか?保護者も学年ごとに入れ替え制で観客席に。
これで9月の修学旅行と運動会という小学校最後の2大行事に参加することができました。

 

2学期は平均週に2日ほど休んでいるのですが、以前と違うのは何となく休むのではなく「今日はダメだ。休む」と決められるようになったことです。

また「今日は行く。遅刻して給食から行くから〇時に送って行って」など、遅刻もOKになりました。

 

 

人生のある時期に周りの価値観を離れて、自分と対話する時間が誰でも必要なのかなと思います。次男の場合その時期が小学校低学年で、年齢的にもまだ周りの価値観=自分の価値観という感じで自他の区別もあいまいなところがあったため、境界線をひき離れること(つまりイヤを感じること、休むこと)自体が無意識・無自覚に不安だったのかと思います。

 

来年からは居住区の公立中学校に進学するつもりのようですが、本人も周囲のお友達も変わっていくし、担任や管理職の先生も年度ごとに変わりますので、「学校に行ってくれてるから安心」とは到底思えずまだまだ目は離せません。次男本人も大分自分の気持ちを感じ取れて境界線が引けるようになってきましたが、本人と周囲をよく見て、コミュニケーションを取って色々な感じ方の違いを確かめながら、なるべく本人の伸びていく方向性の邪魔をせず妨げにならないような関わりがしたいなと思っています。

 

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*1 起立性調節障害

*2 DOES 外から見えるHSP/HSC の特徴。4つの特徴全部を持つのがHSP/HSC

*3 不登校新聞

*4 文科省「不登校児童生徒への支援の在り方について(通知)」令和1年10月

学校に登校するのを目標にするのではなく、既存の学校教育になじめない児童生徒については、学校としてどのように受け入れていくかを検討し、なじめない要因の解消に努める必要がある としています

 

 

 

 

◆これまでのコラム

宝箱に眠っているものは?‐HSP/HSCの才能
HSPの研究文献とWebサイト紹介

私の気持ちも誰か受け止めて欲しい

writer: 古田明子(14歳男子、11歳男子の母)

・公認心理師
・臨床心理士
・JTA日本遠隔カウンセリング協会 認定スーパーバイザー
・HSP-高感受性さんのための青空カウンセリング https://ameblo.jp/yamanashi-leaf

 

 

 

 

 

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