2018年9月29日
連載で「HSPであるママへ」
というのを大分県のカウンセラー
かわのみどりさんの視点をいただき数回にわたり特集しています。
前回の1回目をお読みになっていない方はこちらです。
今日は2回目です。
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ご自身がHSPであるママへ2
~わたしのこと(少女時代)~
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集団生活に、なかなかなじめなかった私ですが
4年生になり転機がきました。
家の都合で転校をすることになったのです。
その時、これまでのような自分は封印して、
母や周りが望んでいるような
「明るい普通の子」になろう
と決心しました。
新しい学校では、
理想の女の子になったつもりで
できるだけ明るく笑顔で、
お友達にも話しかけました。
すぐにお友達ができ、色んな子が、
一緒にあそぼうとか
うちに遊びにおいでと
誘ってくれるようになりました。
私は、人に合わせられたし、
相手の気分や好きなことは
何となく分かるので、
グループに関係なく
誰とでも仲良くできました。
色んなタイプの子と遊ぶのは
疲れることもあったけど
誘ってくれるのに断るなんて選択肢も
勇気もありませんでした。
数か月した後、母が
「みどりさんはクラスで一番人気で、お友達が多いのですよ」
と先生に言われたと
とても嬉しそうに
話してくれたのを覚えています。
やっと、私も普通の子になれた!
やっと、母に喜んでもらえた。
その時は嬉しくて、嬉しくて。
でも、そんな時期も長くは続きませんでした。
しばらくして、
「みどりちゃんは、誰とでも仲良くして
いい気になってるから無視しよう」
そう言われて、
強いグループの女の子たちに
無視されるようになりました。
無視されることも悲しかったけれど、
リーダー格の子の敵意のようなものが
その視線や、身体全体から伝わってきて
すごく苦しくなりました。
教室も校庭も、その日から
色のない灰色の世界になりました。
私は、ただ
みんなと仲良く過ごしたいだけだったのに
やっぱり私はダメなんだ・・
そう思いました。
そんな風に、学校という場で
同年代の子どもとつきあうのは
私にとって なかなか難しくチグハグな感じでした。
そんな私に、本当の意味で
心が通う友達ができたのは5年生になってからです。
Mちゃんは、穏やかでしたが
自分をしっかり持っている子でした。
毎日会って話をして、
家では、交換日記も書いて
それでも、話すことはいくらでもあって
学校に行くのが楽しみになりました。
その後は、クラス替えの度に、
何となく友達は
できるようになりましたが
自分に自信がなくて、
嫌われていないか、
変なことをしてないか。
気にして、なかなか
心を開くことができませんでした。
運動会や遠足、発表会など
にぎやかな場所や
人が集まってワイワイすることや
人前に出ることは全て苦痛で、
いつも「早く終われ、終われ!」と
胸の中で強く願っていました。
それと同時に みんなが楽しいと
いうことをちっとも楽しめない
自分を恥ずかしく感じ、
絶対に知られてはいけないと
感じてもいました。
幼少期は、
家が倒産して貧乏だったり
弟の病気や不登校、
ショックな事件にあったり
大変なことは色々ありましたが
私にとって、何より辛かったのは
私は誰にも必要とされていない。
いてもいなくてもいい人間だ
(と思いこんでいた)ことでした。
あれから随分月日が経ち
分かるようになったのは、
両親も先生も
それぞれのやり方で、
愛情をかけて下さって
いたということです。
そして、
私の分からないところで、
たくさんの方が私を
見守ってきてくれたのだと思います。
そのおかげで、
今まで生きてこられました。
けれどもし、私が小さい時に、
「あなたは、そのままでいいんだよ」
「あなたには素晴らしさがたくさんあるんだよ」
「あなたと同じような苦手があっても、幸せに暮らしている人がいるんだよ」
「辛い時は、逃げてもいいんだよ。自分がいたいところにいてもいいんだよ」
とハッキリ口に出して
言ってくれる人がいたら。
安心して、
泣いたり
怒ったり
自分を出せる人がいたら。
どんなに嬉しかっただろう…
とも思うのです。
次回はこちら
➡ご自身がHSPであるママへ3 ~自分の幸せ基準を持とう~
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【ミッション】私と私の人生が大好き♪な仲間を増やすこと
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10月20日(土)東京世田谷にて(桜新町)
女優でありヒプノ赤ちゃん協会会長の宮崎ますみさん主催
癒しフェアでお話させていただきます。
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