2020年11月2日
話は少し戻ります。
2017年10月半ば、息子達はフリースクールに正式に通い始めることになりました。
初日、校長先生が様子を見に来てくださったこと、
今でも鮮明に思い出します。
校長先生は、長男と次男の姿をやさしく見つめながら、
「フリースクールに通う日は、教育委員会に出席日数としてカウントしてもらえるように伝えておくね。」とにこやかに言ってくださいました。
この時まで、担任の先生とは、あまり話が通じ合わない感じでしたが、
校長先生、そして教頭先生は、我が家の考えを理解し、尊重してくださいました。
それは、とてもとても大きな救いでした。
そして、毎朝の学校への電話をしなくてよくなったことも、
心が軽くなった理由のひとつでした。
…これからは、週一回、金曜日の放課後のみ、学校に顔を見せに行く。
そのわずかな時間だけでいいんだ…。
長男も次男も、堂々とフリースクールに通える喜びに満ち溢れていました。
わたしもまた、言葉にならないほどの安堵感でいっぱいでした。
当時、本人やわたし達の考えなどお構いなしに、どうにか学校に戻そうと
あれこれ言ってくる親(息子達の祖父母)に納得してもらうのに、
学校側の対応は、十分な効力がありました。
あれは、団塊世代特有の、心配という名の愛情表現だったのだ、
と、今となっては、そう思えるまでになりました。
周りの大人たちの変化に呼応するかのように、
息子達の表情は変わっていきました。
特に長男は、人目を氣にするあまり、
平日の日中に外出することをとても嫌がっていたのですが、
フリースクールに通う時は、堂々と玄関のドアを開けるようになっていきました。
そして息子達以上に、周囲の目をとても氣にしていたわたしは、
息子達が登校時間帯ではない日中に出入りする理由と現状を、
ご近所の方ひとりひとりに伝え始めました。
ばったりお会いしたタイミングなどを見計らって、それはそれは地道に。
幸い、理解を示してくださる方ばかりで、
共感し、励ましてくださる方もいらっしゃいました。
話し終えたあと、玄関ドアを締めた瞬間、思わず涙が浮かぶこともありました。
分かってもらえる人の存在の大きさを、ひしひしと感じた瞬間でした。
こんな日々のかけらを大切に携えながら、
思いのほか、理解を示してくれる人々の温かさに触れていくうちに、
わたしの、「こうあらねば」という凝り固まった思考は、少しずつ、ゆるまっていきました。
こうして始まった、フリースクール通学。
『積極的不登校』という日常を、息子達と共に味わう日々。
そして季節は、本格的な冬へと向かっていきました。
その4に続きます。
◆これまでのコラム
writer:上埜典子(13歳男子・11歳男子の母)
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