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HSCちゃんの才能と資質

不登校は自分と向き合い、人生で大切なことを見つけられた時間。宝物だと思っています~カルダー友美さんインタビュー

2022年1月22日

不登校だったことを「人生の宝物」と言う人がいます。

東洋占星術・算命学とタロットの鑑定、不登校支援で活躍しているカルダー友美さん。

 

 

 

幼少期から生きづらさを抱えていた友美さんの心身が、
「もうこれ以上頑張れない」と悲鳴をあげたのは高校に入学して間もないころ。

 

進級のため保健室登校していた3学期以外は、ずっと学校に行けない状態でした。

2年生の終わりには退学しましたが、不登校をきっかけに自分と向き合い、
少しずつ変化していったそうです。

不登校前後の状況や、高卒認定試験を受けて大学へ進学したこと、

働き始めてからのこと、結婚してカナダへ移住したこと、

現在携わっている不登校支援などについて伺いました。

 

周りの子たちと何かが違う

 

―――不登校になるまで『普通の子になりたい』と思い続けていたそうですが、小学校時代はどんなお子さんでしたか。

 

「はっきり説明できなかったのですが、自分は他の子たちと違うようだと何となく気がついていました。

「普通の子」になるため、周りを観察し、気をつかいながら話す日々でしたね。
違うところがわかったのは、高学年のとき。

『この方法でグループワークを進めると、ミスにつながる』とか、『この子はこんなに我慢をしている。そのうちトラブルになる』とかに気がついてしまうんです。それを同級生に伝えても、『はぁ?何を言っているの?』『考えすぎでしょ』という反応しかかえってこない。でも、ミスやトラブルになるとわかっているのに言わないのは、ずるいような気がして。冷たい態度をとられるだろうなと予想したあとに、伝えて傷つく。そんなことを繰り返していました。

 

担任の先生に、『言っていることは正しいのですけれど、同級生たちはそれを受け入れる状態になっていないのです』と言われていたんだよと、大人になってから母に聞きました。この温度差や、人の気持ちに敏感なところ、騒がしいのが苦手なところ、その他たくさんしんどさがありました」

 

 

 

―――HSCの特徴である「細かいことによく気がついている」「物事について深く考えている」「うるさい場所が苦手」が現れていたのですね。ご家庭での様子はいかがでしたか。

 

「私の習い事や進路など、なんでも母が決めていました。母の感情を察知してしまうため、反抗するよりも、期待に応えなきゃと一生懸命でした。その一方、人の多い場所へ行くと圧倒されたり、いろんなことに『なぜ?』と疑問を持ったり、疲れやすくて身体が動かなくなることがあったり。今振り返るとHSCの特徴だとわかるのですが、母からは『うっとうしい、ややこしい、めんどうくさい』と言われていました」

 

 

―――友美さんが小学生だったのは、不登校が登校拒否と言われていた時代。心について考えるのは専門家だけで、HSCの概念はまだ伝わっていませんでしたよね。安心して自分の気持ちや意見を言える「心理的安全性」のない環境で過ごすなか、中学校ではどんなふうにふるまっていましたか。

 

「中学校もしんどかったのですが、少数とはいえ自分に正直な子たちがいたので助かりました。人の気持ちに敏感なまま、自分も同級生も複雑さが増す思春期を迎えていたので、マウントしたり、悪口を言ったりしているのを聞かなくてすむ時間が息抜きだったんです。

学校に行くだけで心身ともに疲れるので、大人が推奨する『勉強は真面目にコツコツする』ができなかったですね。要領よくこなせるよう工夫し、母に言われたとおり公立の進学校を受験しました」

 

 

―――その高校に入学してから、違和感が大きくなり、教室に行けなくなったそうですね。

 

「服装自由な学校で、ピアスをしても、髪を染めてもOK。NGだったのは靴の裏に金具をつけることぐらい。でも同級生たちは、制服みたいなグレーや紺の服ばかり着ているんです。自由にしていいと言われているのに、なぜそんな色の服を着るのかわかりませんでした。

理由を聞こうとしても、学歴至上主義で偏差値の話題が多く、本心を見せ合ったりしない。何かにがんじがらめになっていくように感じて、登校するのがしんどくなっていきました。

また、母の希望どおりの高校に入学したら、『ややこしい』と言われず認めてもらえると思っていたのに、そのそぶりはない。そんな態度を見ているうち、今まで頑張ってきたのは何のためだったのかわからなくなったんです。ついに心がポキッと折れ、学校に行けなくなりました。進級のために高校1年生の3学期だけ保健室登校したものの、そのあとは2年生の終わりに退学するまで不登校でした」

 

 

―――不登校のあいだ、家ではどのように過ごしていましたか。

 

「最初は起きているのがつらくてしんどくて、ずっと眠っていました。その次は、朝はぐったりして起きられないのだけれど、お昼になると少し元気が出てくる。夕方にはまたしんどくなる。そんな状態でした。

元気のあるときはテレビを見ていたので、母から『寝つかないなら学校にいけるでしょ』と言われ、身体を引っ張って車に乗せられたことがありました。学校に行ったほうがいいとまだ信じていたし、行きたい気持ちもあったので、朝になると身体が動かない自分に傷ついていました。学校に行ってほしいと思っていた母も、あの手この手で攻めてくる。でも、どうしても行けない。行けない自分を責めて、さらに傷ついていました。

今の私なら、自分を責めたり悩んだりはしません。大人になってからは働き方を選べるけれど、学校はそうじゃないですよね。学校に毎日行くって、ハードルの高いことだと思っています。でも当時は、みんなが当たり前にしていることができなくて情けないな、ごはんを食べるのも申し訳ない。そう思っているのに食欲があることにも悩みました。そうこうしているうちに、ある日受診していた病院で「肋間神経痛」と病名がつき、『ああ、これで休める。しんどいのは本当だと信じてもらえる』とホッとしたのを、今でも鮮明に覚えています」

 

 

大きな転機がやってきた

 

―――体調が落ち着いたあとアルバイトを始めたそうですが、なぜ外に出てみようと思ったのでしょうか。

 

「動きたいと思い始めるまでの期間は人それぞれ。無理せず、自分のペースで休むのが大切だと思います。休まないと、エンジンはかからないですよね。

私の場合、動けるようになると不安になることばかり考えていました。複数の友達や、近所に住む友達のおばさんが遊ぼうと誘ってくれるのに、断る自分に嫌気もさしていて。そんなとき、友達のひとりがアルバイトをしないかと声をかけてくれたので、思いきって外に出てみました。私には、これがとてもよかった。高学歴じゃなくても楽しそうに過ごしている人たちと働いたことで、学歴がすべてという考えを手放せました。学生という身分がなくても生きていけると思うようになったんです」

 

 

―――学歴至上主義から、大きく変化したのですね。

 

「そうですね。自分の趣味の集まりに参加して、さまざまな年齢の人たちと出会ったことからも、いい影響を受けました。『学校は行っても行かなくても、どっちでもいいよね。自分のやりたいことをやってみるのが大切だよね』と考えている人たちで、生き方はいろいろあることを学びました。その考えに触れたのがきっかけで、『私のやりたいことってなに?楽しいと感じることってなに?』と、思うようになったんです」

 

 

―――自分と向き合ってみて、どんな気づきがありましたか。

 

「母の期待に応えなくていい、周りにあわせなくていいと自分に言い聞かせながら、本当に好きなものを見つけていきました。そのなかに、小学校から続けていた英語があって。英語が好きだと気がついたのは、高校を退学してアルバイトをしていた時期。その後、大学生になった同級生たちの話を聞いているうちに、『大学で英語を学びたい』と思うようになりました。受験するには高卒認定(「高校卒業者と同程度の学力がある」と認められる試験。この試験に合格すると、大学や専門学校、公務員試験、国家試験等を受験できます)が必要だとわかったので、まずはその勉強をして合格。次は受験勉強をして大学に合格し、外国語学部へ進学しました。ずっと敷かれたレールの上を歩いてきましたが、初めて自分で決めたから頑張れたし、大学で過ごした時間は楽しかったです」

 

 

―――今まではお母様が進路を決めていたそうですが、自分で大学へ進学したいと決めて行動したときは、どんな言葉がかえってきましたか。

 

「反対せず、『そうしたいんだね。応援するよ』と言ってくれました。実は、私と同時期に弟も不登校になったんです。母はカウンセリングを受けたり、不登校の親の会に参加したりして、生き方を少しずつ変えていきました。大学へ行きたいと話したとき、母が意見を押し付けてこなかったので、私も揺らぐことなく自己決定できたのだと思います」

 

 

自分で決めたらいい方向へ進んでいった

 

―――友美さんが大学を卒業したころは、企業に正社員として就職するのが一般的なルートでした。考えた末に就職しなかったそうですが、なぜその選択をしたのでしょうか。

 

「自分にとってバランスのいい働き方を知ってから、本格的に仕事をしたいと思って。卒業後は、やりたいことは何でもやってみようと思えるようになっていたので、まずリゾート地で住み込みのアルバイトをしました。そのときに貯めたお金で、カナダに2か月短期留学。帰国してから、子どもに英語を教える先生を派遣する会社に就職しました。

ところが、入社後しばらくして会社が倒産したんです。頻繁に接する人は少ないほうがいい、朝はゆっくりするほうが疲れないとわかっていたので、再度会社に就職はせず、独立して英語の家庭教師になる道を選びました。不登校をきっかけに、世間一般に合わせるのではなく、自分はどうしたいか?で行動するようになっていたので、このような選択ができました」

 

 

―――英語の家庭教師をしている5年のあいだに、カナダ人男性と出会い、結婚、移住。昨年には妊娠と出産を体験し、育児がスタートしています。転機が続いたあとのカナダでの暮らしの様子や、印象に残っていることを教えてください。

 

「日本より空気が乾燥していることや、水の質が違うことでアレルギー対応は大変になりましたが、カナダは一人ひとりの個性を大切にする社会なので、マインド面では住みやすいですね。子どもを連れての外出も楽です。

印象に残っていることは二つあります。まずは、私は私のままでいいのだと心の底から思えたこと。そう思えたのは、日本で自分と向き合ってきた時間があったから。それがなかったら、カナダにいても自分の個性ってなに?と混乱していたはずです。

次に、カナダで通った職業訓練校のカリキュラムです。倫理の時間があって、『どこで働いたとしても、自分自身が幸せじゃないと幸せになれない。誰かが悪い、環境が悪いと思っているだけだと、どこへいっても幸せになれない。』そう教わりました」

 

 

―――その視点はカナダだけでなく、世界のどの国でもいえることかもしれませんね。幸せを感じて生きていくには、自分の特性や個性を知ることが大切になってくると思うのですが、どのように考えていますか。

 

「自己理解がとても大切だと思っています。学校から離れても、どこに住んでも、自分がどういう人間なのかは一生つきまとう。ならば、自分と仲良くなる方法を覚えていったほうがいいですよね。HSP、HSCの特性を知ることは、そこにつながっていくと思うんです。私はHSPを知り、安心感と嬉しさで泣きました。『周りと違う私が悪いんじゃなかった!しかもこれって才能なんだ、やったー!』って。

そして、個性は好きなもののなかに見つけやすいと実感しています。私の場合、英語がヒントになり、そこを活かすことで過ごす場所も関わる人も広がっていきました」

 

 

―――HSPだとわかったあとで自分の人生を振り返ってみたら、どんな場面で才能を発揮していたと思いますか。

 

「小学校高学年のとき、クラス内の問題に気がついていたのは才能ならでは。当時は幼くてできなかったけれど、伝え方を変えたら、お互い心地いい着地点を見つけられたかもしれないですよね。それから、アルバイトをしていたとき、出会った人たちの価値観を知り、自分の人生を好転できたのは物事を深く考えられるからだったと思います。英語教師の仕事では、生徒さんの気持ちを感じ取れるので、相手に寄り添う授業ができました」

 

 

―――現在携わっている不登校支援の拠点は、京都の町家・「学び舎 傍楽(まなびや はたらく)」でしたね。どのような活動をしているのでしょうか。

 

「不登校のおはなし会やHSC勉強会、「まずは自分を幸せに」をテーマにした楽育講座などを実施しています。学び舎 傍楽の代表は、子どもたちの不登校体験からたくさんのことを学び、『親子そろって、ありのままの自分で生きられるようになった』と話している母。

私はイベントの企画・運営に携わっています。昨年は、不登校のおはなし会で自分の体験を伝えたり、母との対談・非HSPママとHSP娘のおはなし会に登場したりもしました。

今は、不登校体験者の私と一対一のセッションを考案中です」

 

 

 

―――最後に、HSCちゃんとママへのメッセージをお願いします。

 

「ママには、お子さんがHSCだとわかっていることをラッキーだと思ってほしいです。

どういうふうに育てたらいいのか知っているのは、HSCの特性を理解し、受けとめる大きな力になります。

行きしぶりや不登校になったら、ママとお子さんが自分を見つめなおすチャンスだと思ってみませんか。

HSCちゃんは、想像以上にママの感情を察知し、応えなければと思っています。お子さんのその発言は、その行動は、本当にお子さんの望みなのかしっかり観察してください。そしてママが幸せになるために、一人の人としてどんなふうに生きていきたいのかを考えてみてください。ママも自分自身の幸せを見つけて、笑顔になってほしいです。

HSCちゃんには、『不登校になってよかったと思っているよ』と伝えたい。私は不登校じゃなかったら、自分がどういう人なのか知らないまま、相手の痛みもわからないイヤな大人になっていたかもしれないと思っています。

まずは、自分が好きだと思うことや、いいなと思うことを探してください。そこから『ここにいてもいいのだな』と安心できる場所が見つかっていくし、前へ進んでいけます。

HSCちゃん、どうか何よりも誰よりも自分自身を大切にしてください」

 

 

 

 

 

■カルダー友美さん

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■学び舎 傍楽

すべての世代が孤独にならない社会を目指す 京都の町家・学び舎 傍楽 (hataraku703.com)

 

 

 

 

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writer/interviewer :  村上泰子(17歳女子、14歳女子の母)

・アロマメディテーション セラピスト
・Webライター
・香りは人生の羅針盤  自分の本当の気持ちがわかるアロマメディテーション
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